であると云うのである。
大阪陣の起る前、秀頼よりの招状が幸村の所へ来た。徳川家の禄を食《は》みたくない以上、大阪に依って、事を成そうとするのは、幸村として止むを得ないところである。秀頼への忠節と云うだけではなく、親譲りの意地でもあれば、武人としての夢も、多少はあったであろう。
真田大阪入城のデマが盛んに飛ぶので、紀州の領主浅野|長晟《ながあきら》は九度山附近の百姓に命じてひそかに警戒せしめていた。
所が、幸村、父昌幸の法事を営むとの触込みで、附近の名主大庄屋と云った連中を招待して、下戸上戸の区別なく酒を強《し》い、酔いつぶしてしまい、その間に一家一門|予《かね》て用意したる支度甲斐甲斐しく百姓どもの乗り来れる馬に、いろいろの荷物をつけ、百人ばかりの同勢にて、槍、なぎ刀の鞘《さや》をはずし、鉄砲には火縄をつけ、紀伊川を渡り、大阪をさして出発した。附近の百姓ども、あれよあれよと騒いだが、村々在々の顔役共は真田邸で酔いつぶれているので、どうすることも出来なかった。浅野長晟之を聴いて、真田ほどの者を百姓どもに監視させたのは、此方の誤りであったと後悔した。
その辺、いかにも軍師らしくていいと思う。
大阪へ着くと、幸村は、只一人大野修理治長の所へ行った。その頃、薙髪《ていはつ》していたので、伝心|月叟《げっそう》と名乗り、大峰の山伏であるが、祈祷《きとう》の巻物差しあげたいと云う。折柄《おりから》修理不在で、番所の脇で待たされていたが、折柄十人|許《ばか》りで、刀脇差の目利きごっこをしていたが、一人の武士、幸村にも刀拝見と云う。幸村山伏の犬おどしにて、お目にかけるものにてはなしと云って、差し出す。若き武士抜きて見れば、刃《やいば》の匂、金《かね》の光云うべくもあらず。脇差も亦然り。とてもの事にと、中子《なかご》を見ると、刀は正宗、脇差は貞宗であった。唯者ならずと若武士ども騒いでいる所へ、治長帰って来て、真田であることが分ったと云う。
その後、幸村|彼《か》の若武士達に会い、刀のお目利きは上りたるやと云って戯れたと云う。
[#7字下げ]真田丸[#「真田丸」は中見出し]
東西手切れとなるや幸村は城を出で、東軍を迎え撃つことを力説し、後藤又兵衛も亦真田説を援けたが、大野渡辺等の容るる所とならず、遂に籠城説が勝った。前回にも書いてある通り、大阪城其物を頼み切っているわ
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