の静子に依つて充されなかつた欲求が、わづか三四分の同乗に依つて、十分に充たされたやうに思つた。
 さう思つたとき、その貴い三四分間は、過ぎてゐた。自動車は、万世橋の橋上を、やゝ速力を緩めながら、走つてゐた。
「いやどうも、大変有難うございました。」
 信一郎は、さう挨拶しながら、降りるために、腰を浮かし始めた。
 その時に、瑠璃子夫人は、突然何かを思ひ出したやうに云つた。
「貴君《あなた》! 今晩お暇ぢやなくつて?」

        八

「貴君! 今晩お閑暇《ひま》ぢやなくつて。」
 と、云ふ思ひがけない問に、信一郎は立ち上らうとした腰を、つい降してしまつた。
「閑暇《ひま》と云ひますと。」
 信一郎は、夫人の問の真意を解しかねて、ついさう訊き返さずにはゐられなかつた。
「何かお宅に御用事があるかどうか、お伺ひいたしましたのよ。」
「いゝえ! 別に。」
 信一郎は夫人が、何を云ひ出すだらうかと云ふ、軽い好奇心に胸を動かしながら、さう答へた。
「実は……」夫人は、微笑を含みながら、一寸云ひ澱んだが、「今晩、演奏が済みますと、あの兄妹の露西亜《ロシア》人を、晩餐|旁《かた/″\》帝劇へ
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