「外交官の夫人! ほゝゝ、妾《わたくし》などに。」
 さう云つたまゝ、夫人の顔は急に曇つてしまつた。外交官の夫人。彼女の若き日の憧れは、未来の外交官たる直也の妻として、遠く海外の社交界に、日本婦人の華として、咲き出《いづ》ることではなかつたか。彼女が、仏蘭西《フランス》語の稽古をしたことも、みんなさうした日のための、準備ではなかつたか。それもこれも、今では煙の如く空しい過去の思出となつて了つてゐる。外交官の夫人と云はれて、彼女の華やかな表情が、急に光を失つたのも無理はなかつた。
 瞬間的な沈黙が、二人を支配した。自動車は御成街道の電車の右側の坦々たる道を、速力を加へて疾駆してゐた。万世橋迄は、もう三町もなかつた。
 信一郎は、もつとピツタリするやうな話がしたかつた。
「仏蘭西《フランス》文学は、お好きぢやございませんか。」
 信一郎は、夫人の顔を窺ふやうに訊いた。
「あのう――好きでございますの。」
 さう云つたとき、夫人の曇つてゐた表情が、華やかな微笑で、拭ひ取られてゐた。
「大好きでございますの。」
 夫人は、再び強く肯定した。

        七

「仏蘭西《フランス》文学が
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