承諾をも聴かないのにも拘はらず、夫人はそれに定《きま》つた事のやうに、信一郎を促した。
 さう勧められると、信一郎は不安と幸福とが、半分宛交つたやうな心持で、胸が掻き乱された。彼は、心から同乗することを欲してゐたのにも拘はらず、乗ることが何となく不安だつた。その踏み段に足をかけることが、何だか行方知らぬ運命の岐路へ、一歩を踏み出すやうに不安だつた。
「あら、何をそんなに遠慮していらつしやるの。ぢや、妾《わたくし》が御先に失礼しますわ。」
 さう云ふと、夫人は軽やかに、紫のフェルトの草履で、踏台《ステップ》を軽く踏んで、ヒラリと車中の人になつてしまつた。
「さあ! 早くお乗りなさいませ。」
 彼女は振り顧つて、微笑と共に信一郎を麾《さしま》ねいた。
 相手が、さうまで何物にも囚はれないやうに、奔放に振舞つてゐるのに、男でありながら、こだはり通しにこだはつてゐることが、信一郎自身にも、厭になつた。彼は、思ひ切つて、踏台《ステップ》に足を踏みかけた。
 信一郎は、車中に入ると、夫人と対角線的に、前方の腰かけを、引き出しながら、腰を掛けようとした。
 夫人は駭いたやうに、それを制した。
「あら
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