と、命じた。が、瑠璃子が、父の云ひ付《つけ》に従つて、その長方形の風呂敷包を、取り上げようとした時だつた。父の心が、急にふと変つたのだらう。
「あ、さう。やつぱり一寸見て置くかな。どうせ贋に定《きま》つてゐるのだが。」
 さう云ひながら、父は瑠璃子の手から、その包みを取り返した。父は包みを解いて、箱を開くと遉《さすが》に丁寧に、中の一軸を取り出した。幅三尺に近い大幅だつた。
「瑠璃さん! 一寸掛けて御覧。その軸の上へ重ねてもいゝから。」
 瑠璃子は父の命ずるまゝに、応接室の壁に古くから懸つて居る、父が好きな維新の志士雲井龍雄の書の上へ、夏珪の山水を展開した。
 先づ初め、層々と聳えてゐる峰巒《ほうらん》の相《すがた》が現れた。その山が尽きる辺から、落葉し尽くした疎林が淡々と、浮かんでゐる。疎林の間には一筋の小径が、遥々と遠く続いてゐる。その小径を横ぎつて、水の乾《か》れた小流《さながれ》が走つてゐる。その水上に架する小さい橋には、牛に騎した牧童が牧笛を吹きながら、通り過ぎてゐる。夕暮が近いのであらう、蒼茫たる薄靄が、ほのかに山や森を掩うてゐる。その寂寞を僅かに破るものは、牧童の吹き鳴ら
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