父を慰めたいと思ひながらも、父の暗い眉や凋びた口の辺《あたり》を見ると、たゞ涙ぐましい気持が先に立つて、話しかける言葉さへ、容易に口に浮ばなかつた。兄がゐる裡は、父と時々争ひが起つたものゝ、それでも家の中が、何となく華やかだつた。父娘二人になつて見ると、ガランとした洋館が修道院か何かのやうに、ジメ/\と淋しかつた。
 六月のある晴れた朝だつた。兄が家出した悲しみも、不快な求婚に擾された心も、だん/\薄らいで行く頃だつた。瑠璃子は、その朝、顔を洗つてしまふと平素《いつも》の[#「平素《いつも》の」は底本では「平素《いつも》もの」]通り、老婢が自分の室の机の上に置いてある郵便物を、取り上げて見た。
 父宛に来た書状も、一通り目を通すのが、彼女の役だつた。その朝は、父宛の書留が一通|雑《ま》じつてゐた。それは内容証明の書留だつた。裏を返すと、見覚えのある川上万吉と云ふ金貸業者の名前だつた。
『あゝまた督促かしら。』と、瑠璃子は思つた。さうした書状を見る毎に、平素《いつも》は感じない家の窮状が彼女にもヒシ/\感ぜられるのであつた。
 彼女は、何気なく封を破つた。が、それは平素《いつも》の督促状
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