間へ行くために階段を上りかけた。父は、杉野子爵を賤しい人間として捨てゝ置くことが出来た。が、瑠璃子には、それは出来なかつた。どんなに、子爵が賤しくても、自分の恋人の父に違《ちがひ》なかつた。その人が、自分のことを、何《ど》う云つたかは、瑠璃子に取つては是非にも訊きたい大事な事だつた。
「でも、何と仰《おつ》しやつたか知りたいと思ひますの。妾《わたくし》のことを何と仰《おつ》しやつたか、気がかりでございますもの。」
 瑠璃子は、父を追ひながら、甘えるやうな口調で云つた。娘の前には、目も鼻もない父だつた。母のない娘のためには、何物も惜しまない父だつた。瑠璃子が執拗に二三度訊くと、どんな秘密でも、明しかねない父だつた。
「なにも、お前の悪口を云つたのぢやない。」
 父は憤怒を顔に現しながらも、娘に対する言葉|丈《だけ》は、優しかつた。
「ぢや、何うして侮辱になりますの、あの方から、侮辱を受ける覚えがないのでございますもの。」
「それを侮辱するから怪《け》しからないのだ。俺を侮辱するばかりでなく、清浄潔白なお前までも侮辱してかゝるのだ。」
 父は、又杉野子爵の態度か言葉かを思ひ出したのだらう、
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