恋人とのいろ/\な会合が、心の中に蘇へつて来た。どの一つを考へても、それは楽しい清浄な幸福な思出だつた。二人は火のやうな愛に燃えてゐた。が、お互に個性を認め合ひ、尊敬し合つた。上野の音楽会の帰途に、ガスの光が、ほのじろく湿《うる》んでゐる公園の木下暗《このしたやみ》を、ベエトーフェンの『月光曲』を聴いた感激を、語り合ひながら、辿つた秋の一夜の事も思ひ出した。新緑の戸山ヶ原の橡《とち》の林の中で、その頃読んだトルストイの「復活」を批評し合つた初夏の日曜の事なども思ひ出した。恋人であると共に、得難い友人であつた。彼女の趣味や知識の生活に於ける大事な指導者だつた。
恋人の凜々しい性格や、その男性的な容貌や、その他いろ/\な美点が、それからそれと、彼女の頭の中に浮かんで来た。若《も》し子爵の来訪の用向きが、自分の想像した通りであつたら、(それが何と云ふ子供らしい想像であらう)とは、打消しながらも、瑠璃子の真珠のやうに白い頬は、見る人もない部屋の中にありながら、ほのかに赤らんで来るのだつた。
が、来客の話は、さう永くは続かなかつた。瑠璃子の夢のやうな想像を破るやうに、応接室の扉《ドア》が、父
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