しやい。」と、近くで若い青年の声がした。ふと、その方を見ると、スラリとした長身に、学校の制服を着けた青年が、丘の麓を見下しながら、誰かを麾《さしまね》いてゐる所だつた。
青年は、今日招待した誰かゞ伴つて来た家族の一人であらう。勝平には、少しも見覚えがなかつた。青年も、此の家の主人公が、こんな淋しい処に、一人ゐようなどとは、夢にも気付いてゐないらしく、麓の方を麾いてしまふと、ハンカチーフを出して、其処にある陶製の腰掛の埃を払つてゐるのだつた。
急に、丘の中腹で、うら若い女の声がした。
「まあ、ひどい混雑ですこと。妾《わたし》いやになりましたわ。」
「どうせ、園遊会なんてかうですよ。あの模擬店の雑沓は、何うです。見てゐる丈でも、あさましくなるぢやありませんか。」と、青年は丘の中腹を、見下しながら、答へた。
それには何とも答へないで、昇つて来るらしい人の気勢《けはひ》がした。青年の言葉に、一寸傷つけられた勝平は、ぢつと其方を、睨むやうに見た。最初、前髪を左右に分けた束髪の頭の形が見えた。それに続いて、細面の透き通るほど白い女の顔が現れた。
三
やがて、女は丘の上に全身を現した。年は十八か九であらう。その気高い美しさは、彼女の頭上に咲き乱れてゐる八重桜の、絢爛たる美しさをも奪つてゐた。目も醒むるやうな藤納戸色の着物の胸のあたりには、五色の色糸のかすみ模様の繍《ぬひ》が鮮かだつた。そのぼかされた裾には、さくら草が一面に散り乱れてゐた。白地に孔雀を浮織にした唐織の帯には、帯止めの大きい真珠が光つてゐた。
「疲れたでせう。お掛けなさい。」
青年は、埃を払つた腰掛を、女に勧めた。彼女は進められるまゝに、腰を下しながら、横に立つてゐる青年を見上げるやうにして云つた。
「妾《わたし》来なければよかつたわ。でも、お父様が一緒に行かう/\云つて、お勧めになるものですから。」
「僕も、妹のお伴で来たのですが、かう混雑しちや厭ですね。それに、此の庭だつて、都下の名園ださうですけれども、ちつともよくないぢやありませんか。少しも、自然な素直な所がありやしない。いやにコセ/\してゐて、人工的な小刀細工が多すぎるぢやありませんか。殊に、あの四阿《あづまや》の建て方なんか厭ですね。」
年の若い二人は、此日の園遊会の主催者なる勝平が、たゞ一人こんな淋しい処にゐようなどとは夢にも考へ及ばないらしく、勝平の方などは、見向きもしないで話し続けた。
「お金さへかければいゝと思つてゐるのでせうか。」
美しい令嬢は、その美しさに似合はないやうな皮肉な、口の利き方をした。
「どうせ、さうでせう。成金と云つたやうな連中は、金額と云ふ事より外には、何にも趣味がないのでせう。凡ての事を金の物差で計らうとする。金さへかければ、何でもいゝものだと考へる。今日の園遊会なんか、一人宛五十円とか百円とかを、入れるとか何とか云つてゐるさうですが、あの俗悪な趣向を御覧なさい。」
青年は、何かに激してゐるやうに、吐き出すやうに云つた。
先刻から、聞くともなしに、聞いてゐた勝平は、烈しい怒《いかり》で胸の中が、煮えくり返るやうに思つた。彼は、立ち上りざま、悪口を云つてゐる青年の細首を捕へて、邸の外へ放り出してやりたいとさへ思つた。彼は若い時、東京に出たときに労働をやつた時の名残りに、残つてゐる二の腕の力瘤を思はず撫でた。が、遉《さすが》に彼の位置が、つい三四分前まで、あんなに誇らしく思つてゐた彼の社会的位置が彼のさうした怒を制して呉れた。彼は、ムラ/\と湧いて来る心を抑へながら、青年の云ふことを、ぢつと聞き澄してゐた。
「成金だとか、何とかよく新聞などに、彼等の豪奢な生活を、謳歌してゐるやうですが、金で贏《かち》うる彼等の生活は、何《ど》んなに単純で平凡でせう。金が出来ると、女色を漁る、自動車を買ふ、邸を買ふ、家を新築する、分りもしない骨董を買ふ、それ切りですね。中に、よつぽど心掛のいゝ男が、寄附をする。物質上の生活などは、いくら金をかけても、直ぐ尽きるのだ。金で、自由になる芸妓などを、弄んでゐて、よく飽きないものですね。」
青年は、成金全体に、何か烈しい恨みでもあるやうに、罵りつゞけた。
「飽きるつて。そりやどうだか、分りませんね。貴方のやうに、敏感な方なら、直ぐに飽きるでせうが、彼等のやうに鈍い感じしか持つてゐない人達は、何時迄同じことをやつてゐても飽きないのぢやなくつて!」女は、美しい然し冷めたい微笑を浮べながら云つた。
「貴方は、悪口は僕より一枚上ですね。ハヽヽヽヽヽ。」
二人は相顧みて、会心の笑ひを笑ひ合つた。
黙つて聞いてゐた勝平の顔は、憤怒のため紫色になつた。
四
まだ年の若い元気な二人は、自分達の会話が、傍に居合す此邸の主
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