人の勝平にどんな影響を与へてゐるかと云ふ事は、夢にも気の付いてゐないやうに、無遠慮に自由に話し進んだ。
「でも、お招《よ》ばれを受けてゐて、悪口を云ふのは悪いことよ。さうぢやなくつて。」
令嬢は、右の手に持つてゐる華奢な象牙骨の扇を、弄《まさぐ》りながら、青年の顔を見上げながら、遉《さすが》に女らしく云つた。
「いや、もつと云つてやつてもいゝのですよ。」と、青年はその浅黒い男性的な凜々しい顔を、一層引き緊めながら、「第一華族階級の人達が、成金に対する態度なども、可なり卑しいと思つてゐるのですよ。平生門閥だとか身分だとか云ふ愚にも付かないものを、自慢にして、平民だとか町人だとか云つて、軽蔑してゐる癖に、相手が金があると、平民だらうが、成金だらうが、此方《こつち》からペコ/\して接近するのですからね。僕の父なんかも、何時の間にか、あんな連中と知己《しりあひ》になつてゐるのですよ。此間も、あんな連中に担がれて、何とか云ふ新設会社の重役になるとか云つて、騒いでゐるものですから、僕はウンと云つてやつたのですよ。」
「おや! 今度は、お父様にお鉢が廻つたのですか。」女は、青年の顔を見上げて、ニツコリ笑つた。
「其処へ来ると、貴女のお父様なんか立派なものだ。何処へ出しても恥かしくない。いつでも、清貧に安んじていらつしやる。」青年は靴の先で散り布いてゐる落花を踏み躙りながら云つた。
「父のは病気ですのよ。」女は、一寸美しい眉を落し「あんなに年が寄つても、道楽が止められないのですもの。」さう云つた声は、一寸淋しかつた。
「道楽ぢやありませんよ。男子として、立派な仕事ぢやありませんか。三十年来貴族院の闘将として藩閥政府と戦つて来られたのですもの。」
青年は、女を慰めるやうに云つた。が、先刻成金を攻撃したときほどの元気はなかつた。二人は話が何時か、理に落ちて来た為だらう。孰《ど》ちらからともなく、黙つてしまつた。青年は、他の一つの腰掛を、二三尺動かして来て、女と並んで腰をかけた。生《なま》あたゝかい晩春の微風が、襲つて来た為だらう。花が頻りに散り始めた。
勝平は先刻から、幾度此の場を立ち去らうと思つたか、分らなかつた。が、自分に対する悪評を怖れて、コソ/\と逃げ去ることは、傲岸な彼の気性が許さなかつた。張り裂けるやうな憤怒を、胸に抑へて、ぢつと青年の攻撃を聞いてゐたのであつた。
彼は、つい十分ほど前まで、今日の園遊会に集まつてゐる、凡ての人々は自分の金力に対する讃美者であると思つてゐた。讃美者ではなくとも、少くとも羨望者であると思つてゐた。否少くとも、自分の持つてゐる金の力|丈《だけ》は、認めて呉れる人達だと思つてゐた。今日集まつてゐる首相を初め、いろ/\な方面の高官も、M公爵を筆頭に多くの華族連中も、海軍や陸軍の将官達も、銀行や会社の重役達も、学者や宗教家や、角力や俳優達も、自分の持つてゐる金力の価値|丈《だけ》は認めて呉れる人だと思つてゐた。認めてゐて呉れゝばこそやつて来たのだと思つてゐた。それだのに、歯牙にもかけたくない、生若い男女の学生が、たとひ貴族の子女であるにしろ、今日の会場の中央で、たとひ自分の顔を見知らぬにせよ、自分の目前で、自分の生活を罵るばかりでなく、自分が命綱《いのちづな》とも思ふ金の力を、頭から否定してゐる。金を持つてゐる自分達の生活を、否人格まで、散々に辱めてゐる。さう考へて来ると、先刻まで晴やかに華やかに、昂ぶつてゐた勝平の心は、苦い韮《にら》を喰つたやうに、不快な暗いものになつてしまつた。彼は、かすり傷を負つた豹のやうな、凄い表情をしながら、二人の後姿を睨んでゐた。もう一言何とか言つて見ろ。そのまゝには済まさないぞ。彼の激昂した心がさうした呻《うめき》を洩して居た。
五
さうした恐ろしい豹が、彼等の背後に蹲まつてゐようとは、気の付いてゐない二人は、今度は四辺《あたり》を憚るやうに、しめやかに何やら話し始めた。
もう一言、学生が何か云つたら、飛び出して、面と向つて云つてやらうと、逸《はや》つてゐた勝平も、相手が急に静《しづか》になつたので、拍子抜がしながら、而もその儘立ち去ることも、業腹なので、二人の容子を、ぢつと睨み詰めてゐた。
自分に対する罵詈のために、カツとなつてしまつて、青年の顔も少女の顔も、十分眼に入らなかつたが、今は少し心が落着いたので、二人の顔を、更めて見直した。
気が付いて見れば見るほど、青年は男らしく、美しく、女は女らしく美しかつた。殊に、少女の顔に見る浄い美しさは、勝平などが夢にも接したことのない美しさだつた。彼は、心の中で、金で購つた新橋や赤坂の、名高い美妓の面影と比較して見た。何と云ふ格段な相違が其処にあつただらう。彼等の美しさは、造花の美しさであつた。偽真珠の
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