まつてゐる。自分の名に依つて、大臣も来てゐる。大銀行の総裁や頭取も来てゐる。侯爵や伯爵の華族達も見えてゐる。いろ/\な方面の名士を、一堂の下に蒐めてゐる。自分の名に依つて、自分の社会的位置で。
さう考へるに付けても、彼は此の三年以来自分に降りかゝつて来た夢のやうな華やかな幸運が、振り顧みられた。
戦争が始まる前は、神戸の微々たる貿易商であつたのが、偶々持つてゐた一隻の汽船が、幸運の緒を紡いで極端な遣繰りをして、一隻一隻と買ひ占めて行つた船が、お伽噺の中の白鳥のやうに、黄金の卵を、次ぎ次ぎに産んで、わづか三年後の今は、千万円を越す長者になつてゐる。
しかも、金が出来るに従つて、彼は自分の世界が、だん/\拡がつて行くのを感じた。今までは、『其処にゐるか』とも声をかけて呉れなかつた人々が、何時の間にか自分の周囲に蒐まつて来てゐる。近づき難いと思つてゐた一流の政治家や実業家達が、何時の間にか、自分と同じ食卓に就くやうになつてゐる。自分を招待したり、自分に招待されたりするやうになつてゐる。その他、彼の金力が物を云ふところは、到る処にあつた。緑酒紅燈の巷でも、彼は自分の金の力が万能であつたのを知つた。彼は、金さへあれば、何でも出来ると思つた。現に、此の庭園なども、都下で屈指の名園を彼が五十万円に近い金を投じて買つたのである。現に、今日の園遊会も、一人宛百金に近い巨費を投じて、新邸披露として、都下の名士達を招んだのである。
聞えて来る笛の音も、鼓の音も奏楽の響も、模擬店でビールの満を引いてゐる人達の哄笑も、勝平の耳には、彼の金力に対する讃美の声のやうに聞えた。『さうだ。凡ては金だ。金の力さへあればどんな事でも出来る』と、心の裡で呟きながら、彼が日頃の確信を、一層強めたときだつた。
「いや、どうも盛会ですな。」と、ビールの杯《コップ》を右の手に高く翳しながら、蹌踉《ひよろ/\》と近づいて来る男があつた。それは、勝平とは同郷の代議士だつた。その男の選挙費用も、悉く勝平のポケットから、出てゐるのだつた。
「やあ! お蔭さまで。」と、勝平は傲然と答へた。『茲《こゝ》にも俺の金の力で動いてゐる男が一人ゐる。』と、心の中で思ひながら。
二
「よく集まつたものですね。随分珍しい顔が見えますね。松田老侯までが見えてゐますね。我輩一昨日は、英国大使館の園遊会《ガードンパーティ》に行きましたがね。とても、本日の盛況には及びませんね。尤も、此名園を見る丈《だけ》でも、来る価値は十分ありますからね。ハヽヽヽ。」
代議士の沢田は真正面からお世辞を云ふのであつた。
「いゝ天気で、何よりですよ。ハヽヽヽヽ。」と、勝平は鷹揚に答へたが、内心の得意は、包隠《つゝみかく》すことが出来なかつた。
「素晴らしい庭ですな。彼処《あすこ》の杉林から泉水の裏手へかけての幽邃な趣は、とても市内ぢや見られませんね。五十万円でも、これぢや高くはありませんね。」
さう云ひながら、澤田は持つてゐたビールの杯《コップ》を、またグイと飲み乾した。色の白い肥つた顔が、咽喉の処まで赤くなつてゐる。彼は、転げかゝるやうに、勝平に近づいて右の二の腕を捕へた。
「主人公が、こんな所に、逃げ込んでゐては困りますね。さあ、彼方《あつち》へ行きませう。先刻も我党の総裁が、貴方《あなた》を探してゐた。まだ挨拶をしてゐないと云つて。」
澤田は、勝平をグン/\麓の方へ、園遊会の賑ひと混雑の方へ引きずり込まうとした。
「いや、もう少しこの儘にして置いて下さい。今日一時から、門の処で一時間半も立ち続けてゐた上に、先刻|三鞭酒《シャンペンしゆ》を、六七杯も重ねたものだから。もう暫らく捨てゝ置いて下さい。直ぐ行きますよ、後から直ぐ。」
さう云つて、捕へられてゐた腕を、スラリと抜くと、澤田はその機《はづ》みで、一間ばかりひよろひよろと下へ滑つて行つたが、其処で一寸踏み止まると、
「それぢや後ほど。」と云つたまゝ空になつた杯《コップ》を、右の手で振り廻すやうにしながら、ふら/\丘の麓にある模擬店の方へ行つてしまつた。
園内の数ヶ所で始まつてゐる余興は、それ/″\に来会した人々を、分け取りにしてゐるのだらう。勝平の立つてゐる此の広い丘の上にも五六人の人影しか、残つてゐなかつた。勝平に付き纏つてゐた芸妓達も、先刻《さつき》踊りが始まる拍子木が鳴ると、皆その方へ馳け出してしまつた。
が、勝平は四辺《あたり》に人のゐないのが、結局気楽だつた。彼は、其処に置いてある白い陶製の腰掛に腰を下しながら、快い休息を貪つてゐた。心の中は、燃ゆるやうな得意さで一杯になりながら。
彼が、暫らく、ぼんやりと咲き乱れてゐる八重桜の梢越しに、薄青く澄んでゐる空を、見詰めてゐる時だつた。
「茲は静かですよ。早く上つていらつ
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