た態度しか見せて下さらないのです。僕が一生懸命に言ふことを、何時もそんな風にはぐらか[#「はぐらか」に傍点]してしまふのです。」
 青年は、恨みがましくさう言つた。
「まあ、そんなに怒らなくつてもいゝわ。ぢや、妾《わたし》貴君の好きなやうに、聴いて上げるから言つて御覧なさい!」
 母は、子供を操るやうに言つた。
 母の態度は、心にもない立聞をしてゐる美奈子にさへ恥しかつた。
 青年は、また黙つてしまつた。
「さあ! 早くおつしやいよ。妾《わたし》こんなに待つてゐるのよ。」
 母が、青年の頬近く口を寄せて、促してゐる有様が、美奈子にも直ぐ感ぜられた。
「瑠璃子さん! 貴女には、僕の今申し上げようと思つてゐることが、大抵お解りになつてはゐませんか。」
 青年は、到頭必死な声でさう云つた。美奈子は、予期したものを、到頭聴いたやうに思ふと、今までの緊張が緩むのと同時に、暗い絶望の気持が、心の裡一杯になつた。それでも彼女は母が、一体どう答へるかと、ぢつと耳を澄してゐた。

        五

 瑠璃子は青年をじらすやうに、落着いた言葉で云つた。
「解つてゐるかつて? 何がです。」
 ある空々しさが、美奈子にさへ感ぜられた。瑠璃子の言葉を聴くと、青年は、可なり激してしまつた。烈しい熱情が、彼の言葉を、顫はした。
「お解りになりませんか。お解りにならないと云ふのですか。僕の心持、僕の貴女に対する心持が、僕が貴女をこんなに慕つてゐる心持が。」
 青年は、もどかしげに、叫ぶやうに云ふのだつた。陰で聞いてゐる美奈子は、胸を発矢《はつし》と打たれたやうに思つた。青年の本当の心持ちが、自分が心|私《ひそ》かに思つてゐた青年の心が、母の方へ向つてゐることを知ると、彼女は死刑囚が、その最後の判決を聴いた時のやうに、身体も心も、ブル/\顫へるのを、抑へることが出来なかつた。が、母が青年の言葉に何と答へるかが、彼女には、もつと大事なことだつた。彼女は、砕かれた胸を抑へて、母が何と云ひ出すかを、一心に耳を澄せてゐた。
 が、母は容易に返事をしなかつた。母が、返事をしない内に、青年の方が急《せ》き立つてしまつた。
「お解りになりませんか。僕の心持が、お解りにならない筈はないと思ふのですが、僕がどんなに貴女を思つてゐるか。貴女のためには、何物をも犠牲にしようと思つてゐる僕の心持を。」
 青年は、必死に母に迫つてゐるらしかつた。顫へる声が、変に途切れて、傍聞《わきぎ》きしてゐる美奈子までが、胸に迫るやうな声だつた。
 が、母は平素《いつも》のやうに落着いた声で云つた。
「解つてゐますわ。」
 母の冷静な答に、青年が満足してゐないことは明かだつた。
「解つてゐます。さうです、貴女は何時でも、さう云はれるのです。僕が、何時か貴女に申上げたときにも、貴女は解つてゐると仰しやつたのです。が、貴女が解つてゐると仰しやるのと、解つてゐないと仰しやるのと、何処が違ふのです。恐らく、貴女は、貴女の周囲に集まつてゐる多くの男性に、皆一様に『解つてゐる』『解つてゐる』と仰しやつてゐるのではありませんか。『解つてゐる』程度のお返事なら、お返事していたゞかなくても、同じ事です。解つてゐるのなら、本当に解つてゐるやうに、していたゞきたいと思ふのです。」
 青年が、一句一語に、興奮して行く有様が、目を閉ぢて、ぢつと聴きすましてゐる美奈子にさへ、アリ/\と感ぜられた。
 が、母は、何と云ふ冷静さだらうと美奈子でさへ、青年の言葉を、陰で聴いてゐる美奈子でさへ、胸が裂けるやうな息苦しさを感じてゐるのに、面と向つて聴いてゐる当人の母は、息一つ弾ませてもゐないのだつた。青年が、興奮すればするほど、興奮して行く有様を、ぢつと楽しんででもゐるかのやうに、落着いてゐる母だつた。
「解つてゐるやうにするなんて? 何《ど》うすればいゝの?」
 言葉|丈《だけ》はなまめかしく馴々しかつた。
 母の取り済した言葉を、聴くと、青年は火のやうに激してしまつた。
「何うすればいゝの? なんて、そんなことを、貴女は僕にお聞きになるのですか。」青年は、恨めし気に云つた。「貴女は僕を、最初から、僕を玩具にしていらつしやるのですか。僕の感情を、最初から弄んでいらつしやるのですか。僕が折に触れ、事に臨んで、貴女に申上げたことを、貴女は何と聴いていらつしやるのです。」
 青年の若い熱情が――、恋の炎が、今烈々と迸つてゐるのであつた。

        六

 青年が、段々激して来るのを、聴いてゐると、美奈子はもう此の上、隠れて聴いてゐるのが、堪らなかつた。
 彼女の小さい胸は、いろ/\な烈しい感情で、張り裂けるやうに一杯だつた。青年の心を知つたための大きい絶望もあつた。が、それと同時に、青年の烈しい恋に対する優しい同情もあつた。母の
前へ 次へ
全157ページ中133ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング