。」
彼は余りのうれしさに、生れ故郷の訛りを、スツカリ丸出しにしながら、身体に似合はない優しい声を出した。
「貴女が心の中から、私のところへ、欣んで来て下さる。こんな嬉しいことはない。貴女のためなら俺《わし》の財産をみんな投げ出しても惜しみはせん。あはゝゝゝゝ。」
荘田は、恥しさうに顔を俯してゐる瑠璃子の、薄暗の中でも、くつきりと白い襟足を、貪るやうに見詰めながら、有頂天になつて云つた。
「貴女が来て下されば、俺も今迄の三倍も五倍もの精力で、働きますぞ。うんと金を儲けて、貴女の身体をダイヤモンドで埋めて上げますよ。あはゝゝゝゝゝ。」
荘田は、何うかして、瑠璃子の微笑と歓心とを贏《か》ちえようと、懸命になつて話しかけた。
十時を過ぎたお濠端の闇を、瑠璃子を乗せた自動車を先頭に、美奈子を乗せた自動車を中に、召使達の乗つた自動車を最後に、三台の自動車は、瞬く裡に、日比谷から三宅坂へ、三宅坂から五番町へと殆ど三分もかゝらなかつた。
瑠璃子が、夫に扶けられて、自動車から宏壮な車寄に、降り立つた時、遉《さすが》にその覚悟した胸が、烈しくときめくのを感じた。単身敵の本城へ乗り込んで行く、刺客のやうな緊張と不安とを感じた。勝平に扶けられてゐる手が、かすかに顫へるのを、彼女は必死に制しようとした。
瑠璃子が、勝平に従つて、玄関へ上がらうとした時だつた。其処に出迎へてゐる、多数の召使の前に、ヌツとつツ立つてゐる若者が、急に勝平に縋り付くやうにして云つた。
「お父さん! お土産《みやげ》だい! お土産だい!」
勝平は、縋り付かれようとする手を、瑠璃子の手前、きまり悪さうに、払ひ退けながら、
「あゝ分つてゐる、分つてゐる。後で、沢山やるからな。さあ! 此方へおいで。お前の新しいお母様が出来たのだからな。挨拶をするのだよ。」
勝平は、その若者を拉しながら先に立つた。若者は、振向き/\瑠璃子の顔をジロ/\と珍らしさうに見詰めてゐた。
勝平は先きに立つて、自分の居間に通つた。
「美奈子も、茲へおいで。」
彼は、娘を呼び寄せてから、改めて瑠璃子に挨拶させた後、勝平はその見るからに傲岸な顔に、恥しさうな表情を浮べながら、自分の息子を紹介した。
「これが俺《わし》の息子ですよ。御覧の通《とほり》の人間で、貴女にさぞ、御面倒をかけるだらうと思ひますが、ゼヒ、面倒を見てやつていたゞきたいのです。少し足りない人間ですが、悪気はありませんよ。極く単純で、此方《こつち》の云ふことは可なり聴くのです。おい勝彦! これが、お前のお母様だよ。さあ/\挨拶するのだ。」
勝彦は、瑠璃子の顔を、ジロ/\と見詰めてゐたが、父にさう促されると急に気が付いたやうに、
「お母様ぢやないや。お母様は死んでしまつたよ。お母様は、もつと汚《きたな》い婆あだつたよ。此人は綺麗だよ。此人は美奈ちやんと同じやうに、綺麗だよ。お母様ぢやないや、ねえさうだらう、美奈ちやん。」彼は妹に同意を求めるやうに云つた。妹は顔を、火のやうに赤くしながら、兄を制するやうに云つた。
「お母様と申上げるのでございますよ。お父様のお嫁になつて下さるのでございますよ。」
「何んだ、お父様のお嫁! お父様は、ずるいや。俺に、お嫁を取つて呉れると云つてゐながら、取つて呉れないんだもの。」
彼は、約束した菓子を貰へなかつた子供のやうに、すね[#「すね」に傍点]て見せた。
瑠璃子は、その白痴な息子の不平を聞くと、勝平が中途から、世間体を憚つて、自分を息子の嫁にと、云ひ出したことを、思ひ出した。金で以て、こんな白痴の妻――否弄び物に、自分をしようとしたのだと思ふと、勝平に対する憎悪が又新しく心の中に蒸返された。
六
勝彦と美奈子とが、彼等自身の部屋へ去つた頃には、夜は十一時に近く、新郎新婦が新婚の床に入るべき時刻は、刻々に迫つてゐた。
勝平は、先刻《さつき》から全力を尽くして、瑠璃子の歓心を買はうとしてゐた。彼は、急に思ひ出したやうに、
「おゝさう/\、貴女《あなた》に、結婚進物《マリエイジプレゼント》として、差し上げるものがありましたつけ。」
さう云ひながら、彼は自分の背後に据ゑ付けてある小形の金庫から、一束の証書を取り出した。
「貴女のお父様に対する債権の証文は、みんな蒐めた筈です。さあ、これを今貴女に進上しますよ。」
彼は、その十五万円に近い証書の金額に、何の執着もないやうに、無造作に、瑠璃子の前に押しやつた。
瑠璃子は、その一束を、チラリと見たが、遉《さすが》にその白い頬に、興奮の色が動いた。彼女は、二三分の間、それを見るともなく見詰めてゐた。
「あのマッチは、ございますまいか。」彼女は、突如さう訊いた。
「マッチ?」勝平は、瑠璃子の突然な言葉を解し得なかつた。
「あのマッチ
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