一つの誇は、金力であつた。が、今はそれよりも、もつと誇つていゝものが、得られたやうにさへ思つた。
大臣を初め、政府の高官達が来る。実業家が来る。軍人が来る。唐沢家の関係から、貴族院に籍を置く、伯爵や子爵が殊に多かつた。大抵は、夫人を同伴してゐた。美人の妻を持つてゐるので、有名な小早川伯爵が来たとき、勝平は同伴した伯爵夫人を、自分の新妻と比べて見た。伯爵夫妻が、会釈して去つた時、勝平の顔には、得意な微笑が浮んだ。虎の門第一の美人として、謳はれたことのある勧業銀行の総裁吉村氏の令嬢が、その父に伴はれて、その美しい姿を現はしたとき、勝平はまた思はず、自分の新妻と比べて見ずにはゐられなかつた。無論、この令嬢も美しいことは美しかつた。が、その美しさは、華美な陽気な美しさで、瑠璃子のそれに見るやうな澄んだ神々しさはなかつた。
『やつぱり、育ちが育ちだから。』勝平は、口の中で、こんな風に、新しい妻を讃美しながら、日本中で、一番得意な人間として、後から後からと続いて来る客に、平素に似ない愛嬌を振り蒔いてゐた。
来客の足が、やゝ薄らいだ頃だつた。此の結婚を纏めた殊勲者である木下が新調のフロックコートを着ながら、ニコニコと入つて来た。
「やあ! お目出度うございます。お目出度うございます!」
彼は勝平に、ペコ/\と頭を下げてから、その傍の新夫人に、丁寧に頭を下げたが、今迄は凡ての来客の祝賀を、神妙に受けてゐた瑠璃子は木下の顔を見ると、その高島田に結つた頭を、昂然と高く持したまゝ、一寸は愚か一分も動かさなかつた。勝手が違つて、狼狽する木下に、一瞥も与へずに、彼女は怒れる女王の如き、冷然たる儀容を崩さなかつた。
三
祝宴が開かれたのは、午後七時を廻つてゐた時分だつた。集合電燈《シャンデリア》の華やかな昼のやうな光の下に五百人を越す紳士とその半分に近い婦人とが淑《しとや》かに席に着いた。紳士は、大抵フロックコートか、五つ紋の紋付であつたが、婦人達は今日を晴と銘々きらびやかな盛装を競つてゐた。
花嫁と云つたやうな心持は、少しも持たず、戦場にでも出るやうな心で、身体には錦繍を纏つてゐるものの、心には甲冑を装うてゐる瑠璃子ではあつたが、かうして沢山の紳士淑女の前に、花嫁として晒されると、必死な覚悟をしてゐる彼女にも、恥しさが一杯だつた。列席の人々は、結婚が非常な評判《センセイション》を起した丈《だけ》、それ丈花嫁の顔を、ジロ/\と見てゐるやうに、瑠璃子には思はれた。金《かね》で操を左右されたものと思はれてゐるかも知れないことが、瑠璃子には――勝気な瑠璃子には、死に勝る恥のやうにも思はれた。が、彼女は全力を振つて、さうした恥しさと戦つた。人は何とも思へ、自分は正しい勇ましい道を辿つてゐるのだと、彼女は心の中で、ともすれば撓みがちな勇気を振ひ起した。
が、苦しんでゐるものは、瑠璃子|丈《だけ》ではなかつた。新郎の勝平と、一尺も離れないで、黙々と席に就いて居る父の顔を見ると、瑠璃子は自分の苦しみなどは、父の十分の一にも足りないやうに思つた。自分は、自分から進んで、かうした苦痛を買つてゐるのだ。が、父は最愛の娘を敵に与へようとしてゐる。縦令《たとひ》、それが娘自身の発意であるにしろ、男子として、殊に硬骨な父として、どんなに苦しい無念なことであらうかと思つた。
が、苦しんでゐる者は、外にもあつた。それは今宵の月下氷人を勤めてゐる杉野子爵だつた。子爵は、瑠璃子が自分の息子の恋人であることを知つてから、どれほど苦しんでゐるか分らなかつた。瑠璃子に対する荘田の求婚が、本当は自分の息子に対する、復讐であつたことを知つてから、彼はその復讐の手先になつてゐた、自分のあさましさが、しみ/″\と感ぜられた。殊に、そのために、息子が殺傷の罪を犯したことを考へると、彼は立つても坐つても、ゐられないやうな良心の苛責を受けた。
日比谷大神宮の神前でも、彼は瑠璃子の顔を、仰ぎ見ることさへなし得なかつた。彼は、瑠璃子親子の前には、罪を待つ罪人のやうに、悄然とその頭を垂れてゐた。
今宵の祝賀の的であるべき花嫁を初め、親や仲人が、銘々の苦しみに悶えてゐるにも拘はらず、祝賀の宴は、飽くまでも華やかだつた。価《あたひ》高い洋酒が、次ぎから次ぎへと抜かれた。料理人が、懸命の腕を振つた珍しい料理が後から後から運ばれた。低くはあるが、華やかなさゞめき[#「さゞめき」に傍点]が卓から卓へ流れた。
デザートコースになつてから、貴族院議長のT公爵が立ち上つた。公爵は、貴族院の議場の名物である、その荘重な態度を、いつもよりも、もつと荘重にして云つた。
「私は、茲《こゝ》に御列席になつた皆様を代表して、荘田唐沢両家の万歳を祈り、新郎新婦の前途を祝したいと思ひます。何うか皆様新郎新
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