。或新聞紙は貴族院第一の硬骨を以て、称せらるゝ唐沢男爵に、さうした卑しい事のあるべき筈はないと、打消した。他の新聞紙は宛《あたか》も事件の真相を伝へる如くに云つた、曰く『荘田勝平は唐沢男に私淑してゐるのだ。彼は数十万円を投じて唐沢家の財政上の窮状を救つたのだ。唐沢男が、娘を与へたのは、その恩義に感じたからである。』と。他の新聞紙は、またこんな記事を載せた。結婚の動機は、唐沢瑠璃子の強い虚栄からである。彼女は学習院の女子部にゐた頃から、同窓の人々の眉を顰めさせるほど、虚栄心に富んだ女であつた、と。さうした記事に伴つて女子教育家や社会批評家の意見が紙面を賑はした。或者は、成金の金に委せての横暴が、世の良風美俗を破ると云つて憤慨した。或者は、米国の富豪の娘達が、欧洲の貴族と結婚して、富と爵位との交換を計るやうに、日本でも貧乏な華族と富豪が頻々として縁組を始めたことを指摘して、面白からぬ傾向である、華族の堕落であると結論した。
が、さうした轟々たる世論を外に、荘田は結婚の準備をした、春の園遊会に、十万円を投じて惜しまなかつた彼は、晴の結婚式場には、黄金の花を敷くばかりの意気込であつた。彼は、自分の結婚に対して非難攻撃が高くなればなるほど、反抗的に公然《おほぴら》に華美に豪奢に、式を挙げようと決心してゐた。
彼は、あらゆる手段で、朝野の名流を、その披露の式場に蒐めようとした。彼は、あらゆる縁故を辿つて、貴族顕官の列席を、頼み廻つた。
九月二十九日の夕であつた。日比谷公園の樹の間に、薄紫のアーク燈が、ほのめき始めた頃から幾台も幾台もの自動車が、北から南から、西から東から、軽快な車台で夕暮の空気を切りながら、山下門の帝国ホテルを目指して集まつて来た。最新輸入の新しい型の自動車と交つては、昔ゆかしい定紋の付いた箱馬車に、栗毛の駿足を並べて、優雅に上品に、軋《きしら》せて来る堂上華族も見えた。遉《さすが》に広いホテルの玄関先も、後から後から蒐まつて来る馬車や自動車を、収め切れないではみ出された自動車や馬車は往来に沿うて一町ばかりも並んでゐた。
祝宴が始まる前の控場の大広間には、余興の舞台が設けられてゐて、今しがた帝劇の嘉久子と浪子とが、二人道成寺を踊り始めたところだつた。
二
新郎の勝平は、控室の入口に、新婦の瑠璃子と並び立つて、次ぎ次ぎに到着する人々を迎へてゐた。
彼は嘘から出た真《まこと》と云ふ言葉を心の裡で思ひ起してゐた。本当に、彼の結婚は嘘から出た真であつた。彼は、妙にこじれてしまつた意地から、相手を苦しめる為に、申込んだ結婚が、相手が思ひの外に、脆かつた為、手軽に実現したことが少しくすぐつたいやうにも思つた。それと同時に、名門のたつた一人の令嬢をさへ、自分の金の力で、到頭買ひ得たかと思ふと、心の底からむら/\と湧く得意の情を押へることが出来なかつた。
が、結婚の式場に列るまで、彼は瑠璃子を高値で購つた装飾品のやうにしか思つてゐなかつた。五万円に近い大金を投じて、落藉《ひか》した愛妓に対するほどの感情をも持つてゐなかつた。『此のお嬢さん屹度むづがるに違ひない。なに、むづかつたつて、高の知れた子供だ。ふゝん。』と云つたやうな気持で神聖なるべき式場に列つた。
が、雪のやうに白い白紋綸子の振袖の上に目を覚むるやうな唐織錦の裲襠《うちかけ》を被《き》た瑠璃子の姿を見ると、彼は生れて初めて感じたやうな気高さと美しさに、打たれてしまつて、神官が朗々と唱へ上げる祝詞《のりと》の言葉なども耳に入らぬほど、ぢつと瑠璃子の姿に、魅せられてゐた。その輪廓の正しい顔は凄いほど澄みわたつて、神々しいと云つてもいゝやうな美しさが、勝平の不純な心持ちをさへ、浄めるやうだつた。
式が、無事に終つて、大神宮から帝国ホテルまでの目と鼻の距離を、初めて自動車に同乗したときに云ひ知れぬ嬉しさが、勝平の胸の中に、こみ上げて来た。彼は、どうかして、最初の言葉を掛けたかつた。が、日頃傲岸不遜な、人を人とも思はない勝平であるにも拘はらず、話しかけようとする言葉が、一つ/\咽喉にからんでしまつて、小娘か何かのやうに、その四十男の巨きい顔が、ほんの少しではあるが、赤らんだ。彼は、唐沢家をあんなにまで、迫害したことが、後悔された。瑠璃子が、自分のことを一体|何《ど》う思つてゐるだらうと、云ふことが一番心配になり始めた。
式服を着換へて、今勝平の横に立つてゐる瑠璃子は、前よりもつと美しかつた。御所解模様《ごしよどきもやう》を胸高に総縫にした黒縮緬[#「黒縮緬」は底本では「黒縮面」]の振袖が、そのスラリとした白皙の身体に、しつくりと似合つてゐた。勝平は、かうして若い美しい妻を得たことが、自分の生涯を彩る第一の幸福であるやうにさへ思はれた。今までは、彼の唯
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