もう一人の人間とに、思ひ知らしてやればいいのだよ。」
荘田は、何物も恐れないやうに、傲然と云ひ放つた。
丁度、その時だつた。荘田の背後の扉《ドア》が、ドン/\と、激しく打ち叩かれた。
「電報! 電報!」と、誰かゞ大声で叫んだ。
二
「電報! 電報!」
扉《ドア》は、続け様に割れるやうに叩かれた。今迄、傲然と反り返つてゐた荘田は、急に悄気切つてしまつた。彼はテレ隠しに、苦笑しながら、
「おい! 勝彦! おい! よさないか、お客様がゐるのだぞ。おい! 勝彦!」
客を憚つて、高い声も立てず、低い声で制しようとしたが、相手は聴かなかつた。
「電報! 電報!」強い力で、扉《ドア》は再び続けざまに、乱打された。
「まあ! お兄様! 何を遊ばすのです。さあ! 彼方《あつち》へ行らつしやい。」優しく制してゐる女の声が聞えた。
「電報だい! 電報だい! 本当に電報だよ、美奈さん。」男は抗議するやうに云つた。
「あら! 電報ぢやありません、お客様の御名刺ぢやありませんか、それなら早くお取次ぎ遊ばすのですよ。」
さうした問答が、聞えたかと思ふと、扉《ドア》が音もなく開いて、十六――恐らく七にはなるまい少女が姿を現した。色の浅黒い、眸のいきいきとした可愛い少女だつた。彼女は、兄の恥を自分の身に背負つたやうに、顔を真赤にしてゐた。
「お父様! お客様でございます。」
客に、丁寧に会釈をしてから、父に向つて名刺を差し出しながら、しとやかさうに云つた。傲岸な父の娘として、白痴の兄の妹として、彼女は狼に伍した羊のやうに、美しく、しとやかだつた。
「木下さん。これが娘です。」
さう云つた荘田の顔には、娘自慢の得意な微笑が、アリ/\と見えた。が、彼の眼が、開かれた扉《ドア》の所に立つて、キヨトンと室内を覗いてゐる長男の方へ転ずると、急にまた悄気てしまつた。
「あゝ美奈さん。兄さんを早う向うへ連れて行つてね。それから、杉野さんをお通しするやうに。」
娘に、優しく云ひ付けると、客の方へ向きながら、
「御覧の通りの馬鹿ですからね。唐沢のお嬢さんのやうな立派な聡明な方に、来ていたゞいて、引き廻していたゞくのですね。はゝゝゝゝ。」
馬鹿な長男が去ると、荘田は又以前のやうな得意な傲岸な態度に還つて行つた。
其処へ、小間使に案内されて、入つて来たのは、杉野子爵だつた。
「やあ! 荘田さん! 懸賞金はやつぱり私のものですよ。到頭、先方で白旗《しらはた》を上げましたよ、はゝゝゝ。」
「白旗をね、なるほど。はゝゝゝゝ。」荘田は、凱旋の将軍のやうに哄笑した。
「案外脆かつたですね。」木下は傍から、合槌を打つた。
「それがね。令嬢が、案外脆かつたのですよ。お父様が、監獄へ行くかも知れないと聞いて、狼狽したらしいのです。父一人子一人の娘としては、無理はないとも思ふのです。私の所へ、今朝そつと手紙を寄越したのです。父に対する告訴を取り下げた上に、唐沢家に対する債権を放棄して呉れるのなら荘田家へ輿入れしてもいゝと云ふのです。」
「なるほど、うむ、なるほど。」
荘田は、血の臭を嗅いだ食人鬼のやうに、満足さうな微笑を浮べながら、肯いた。
「ところが、令嬢に註文があるのです。荘田君! お欣びなさい! 私に対する懸賞金は倍増《ばいまし》にする必要がありますよ、令嬢の註文がかうなのです。同じ荘田家へ嫁ぐのなら、息子さんよりも、やつぱりお父様のお嫁になりたい。男性的な実業家の夫人として、社交界に立つて見たいとかう云つてあるのです。手紙をお眼にかけてもいゝですが。」
さう云ひながら、子爵はポケットから、瑠璃子の手紙を取り出した。丁度|敵《かたき》から来た投降状でも出すやうに。
三
凱旋の将軍が、敵の大将の首実検をでもするやうに、荘田は瑠璃子が杉野子爵宛に寄越した手紙を取り上げた。得意な、満ち足りたと云つたやうな、賤しい微笑が、その赤い顔一面に拡がつた。
「うむ! 成る程! 成る程!」
舌鼓をでも打つやうに、一句々々を貪るやうに読み了ると、彼は腹を抱へんばかりに哄笑した。
「はゝゝゝゝ。強いやうでも、やつぱり女子《おなご》は弱いものぢや、はゝゝゝゝ。なにも、あのお嬢さんを嫁にしようなどとは、夢にも考へてゐなかつたが、かうなると一番若返るかな、はゝゝゝゝ。ぢや、杉野さん、どうかよろしくね。あの証文全部は、お嬢様に、結婚の進物として差しあげる。さうだ! 差し上げる期日は、結婚式の当日と云ふことにせう。それから、支度金は軽少だが、二万円差し上げよう。さう/\、貴君方に対するお礼もあつたけ。」
王女のやうに、美しく気高い処女を、到頭征服し得たと云ふ欣びに、荘田は有頂天になつてゐた。彼は、呼鈴《ベル》を鳴らして女中を呼ぶと、
「お嬢さんに、さう云ふ
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