なくなりますわ。まあ! 坐つてお話しなさいませ。妾《わたし》、今夜はよくお話したいと思ひますから。」
 瑠璃子の態度は、水の如く冷たく澄んでゐた。たしなめ[#「たしなめ」に傍点]られて、青年は不承々々に元の席に復したが、彼の興奮は容易には去らない。彼は火のやうに、熱い息を吐いてゐた。
「坐ります。坐ります。が、あのお話を、今|茲《こゝ》でなさるなんて、あんまりではありませんか。あれは、僕|丈《だけ》の私事です。私事的《プライヴェート》な事です。それを今茲でお話しになるなんて、あんまりではありませんか。あの晩、僕が何と申上げたのです。あの晩申上げた事を、貴女は覚えてゐて下さらないのですか。」
 青年は、美奈子が聴いてゐることなどは、もう介意《かま》つてゐられないやうに、熱狂して来た。
 美奈子は、真中でぢつと聴いてゐるのに堪へられなくなつて来た。彼女は、勇気を鼓舞しながら、口を開いた。
「あのう、お母様! 妾《わたくし》は一寸失礼させていたゞきたいと思ひますわ。お話が、お済みになつた頃に帰つて参りますから。」
 美奈子は、皮肉でなく真面目にさう云はずにはゐられなかつた。
 溺れる者は、藁をでも掴むやうに、青年はもう夢中だつた。
「さうです。奥さん! もし貴女《あなた》が、あの晩の話のお返事をして下さるのなら、失礼ですが、美奈子さんに、一寸失礼させていたゞきたいのです。あれは、僕の私事です。あのお返事なら、僕一人の時に承はりたいのです。」
 興奮した青年に、水を浴せるやうに、瑠璃子は云つた。
「いゝえ! 妾《わたし》、美奈さんにも、是非とも聴いていたゞきたいのですわ。一昨夜も、あんなお話なら美奈さんに立ち合つていたゞきたいと思つたのです。あんなお話は、二人切りで、すべきものではないと思ひますもの。たゞさへ、妾《わたし》色々な風評の的になつて、困つてゐるのですもの。あゝいふお話はなるべく陰翳の残らないやうに、ハツキリと片を付けて置きたいと思ひますの。ねえ、美奈さん、貴女このお話の、証人《ウイットネス》になつて下さるでせうねえ。」
「あ! 奥さん! 貴女《あなた》は! 貴女は!」
 青年は、狂したやうに叫びながら立ち上ると、続けざまに、地を踏み鳴らした。

        四

 青年が、狂気したやうに、叫び出したのにも拘はらず、瑠璃子は、冷然として、語りつゞけた。
「美奈
前へ 次へ
全313ページ中284ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング