を窺《うかが》つた。西洋人の少年少女が二人連れ立つて、自分の部屋へ、帰つて行くらしいのを除いた外には人影はなかつた。
 彼女は、廊下を左へ取つた。その廊下を突き当つて左へ降りると、ホテルの玄関を通らないで、広場へ出ることを知つてゐた。
 彼女は、廊下を馳け過ぎた。階段を、一気に馳け降りた。そして、階段の突き当りにある、扉《ドア》を押し開いて、夜の戸外へ、走り出ようとした。
 が、その扉《ドア》を押し開いた刹那であつた。
「おや!」戸外に、叫ぶ声がした。戸外からも、扉《ドア》を開けようとした人が、思はず内部から開いたので、駭《おどろ》いて発した声だつた。美奈子は、直ぐ、さう叫んだ人と、顔を面して立たなければならなかつた。それは、正《まさ》しく母だつた。母の後に、寄り添ふやうに立つてゐるのは、もとより彼の青年だつた。
「美奈さんぢやないの!」
 母は、可なり駭いてゐた。狼狽してゐたと云つてもよかつた。美奈子は、全身の血が、凍つてしまつたやうに、ぢつと身体を縮ませながら、立つてゐた。
「何うしたの? こんなに遅く?」
 青年との会話には、あんな冷静を保つてゐた母が、別人ではないかと思ふほど、色を変へてゐた。
 美奈子が、黙つてゐると、母は益々気遣はしげに云つた。
「一体|何《ど》うしたの。こんなに遅く、着物を着換へて、手提なんか持つて。」

        四

 母に問ひ詰められて、美奈子は、漸くその重い唇を開いた。
「あの、手紙を出しに、郵便局まで行かうと思つてゐましたの。」
 彼女は、生れて最初の嘘を、ついてしまつた。彼女の、蒼い顫ひを帯びた顔色を見れば、誰が彼女が郵便局へ行くことを、信ずることが出来よう。
「郵便局!」瑠璃子は、反射的にさう繰返したが、その美しい眉は、深い憂慮のために、暗くなつてしまつた。「こんなに遅く郵便局へ!」
 瑠璃子は、呟くやうに云つた。が、それは美奈子を咎めてゐると云ふよりも、自分自身を咎めてゐるやうな声だつた。
 母子《おやこ》の間に、暫らくは沈黙が在つた。美奈子は、屠所に引かれた羊のやうに、たゞ黙つて立つてゐる外は、何うすることも出来なかつた。
「郵便局! 郵便局なら、僕が行つて来て上げませう。」
 母の後に立つてゐた青年は、此の沈黙を救はうとしてさう云つた。
 美奈子は、一寸狼狽した。託すべき手紙などは持つてゐなかつたからである。

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