空を振り仰いだ。
早川の対岸に、空を劃《くぎ》つて聳えてゐる、連山の輪廓を、ほの/″\とした月魄《つきしろ》が、くつきりと浮き立たせてゐるのであつた。
相模灘を、渡つて来た月の光が今丁度箱根の山々を、照し初めようとしてゐる所だつた。
「まあ! 綺麗ですこと。」
美奈子もつい感嘆の声を洩した。
「旧の十六日ですね、きつと。いゝ月でせう。空が、あんなによく晴れてゐます。東京の、濁つたやうな空と比べると何《ど》うです。これが本当に緑玉《エメラルド》と云ふ空ですね。」
青年は、心ゆくやうに空を見ながら云つた。美奈子も、青年の眸を追うて、大空を見た。夏の宵の箱根の空は、磨いたやうに澄み切つてゐた。
「本当に美しい空でございますこと。」
美奈子も、しみ/″\とした気持でさう云つた。丁度、今までかけられてゐた沈黙の呪が解かれたやうに。
「やつぱり空気がいゝのですね。東京の空と違つて、塵埃《じんあい》や煤煙がないのですね。」
「山の緑が映つてゐるやうな空でございますこと。」
美奈子も、つい気軽になつてさう云つた。
「さうです。本当に山の緑が映つてゐるやうな空です。」
青年は、美奈子の云つた言葉を噛みしめるやうに繰り返した。
二人は、また暫らく黙つて歩いた。が、もう先刻《さつき》のやうなギゴチなさは、取り除かれてゐた。美しい自然に対する讃美の心持が、二人の間の、心の垣を、ある程度まで取り除けてゐた。美奈子は、青年ともつと親しい話が出来ると云ふ自信を得た。青年も、美奈子に対してある親しみを感じ初めたやうだつた。
四五尺も離れて歩いてゐた二人は、何時の間にか、孰《どち》らからともなく寄添うて歩いてゐた。
美奈子は、相手に話したいことが、山ほどもあるやうで、しかもそれを考へに纏めようとすると、何も纏まらなかつた。唖が、大切な機会に喋べらうとするやうに、たゞいら/\焦り立つてゐるばかりだつた。
「さう/\、貴女《あなた》に申上げたいことがあつたのです。つい、此間中から機会がなくて。」
青年は、大切なことをでも、話すやうに言葉を改めた。動き易い少女の心は、そんなことにまで烈しく波立つのだつた。
五
相手がどんなことを云ひ出すのかと、美奈子は、胸を躍らしながら待つてゐた。
青年は、一寸云ひ憎さうに、口籠つてゐたが、やつと思ひ切つたやうに云つた。
「此
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