の刹那に於て、精神的にも瑠璃子に破られてゐただらうか。
否! 否! 瑠璃子自身の良心が、それを否定してゐる。愈々、死が迫つて来た時の勝平の心は、彼の一生の凡ての罪悪を償ひ得るほどに、美しく輝いて居たではないか。
彼は、自分の容《ゆる》しを瑠璃子に乞うた上、二人の愛児の行末を、瑠璃子に頼んでゐる。彼は名ばかりの妻から、夫として堪へがたき反抗を受けながら、尚彼女に美しき信頼を置かうとしてゐる。
それよりも、もつと瑠璃子の心を穿つたものは、彼が臨終の時に示した子供に対する、綿々たる愛だつた。格闘の相手が――従つて彼の死の原因が――勝彦であることを知りながらも、此の愚なる子の行末を、苦しき臨終の刹那に気遣つてゐる。彼の人間らしい心は、その死床に於て、燦然として輝いたではないか。
彼を敵として結婚し、結婚してからも、彼に心身を許さないことに依つて、彼に悶々の悩みを嘗《な》めさせ、それが半ば偶然であるとは云へ、勝彦を操ることに依つて、畜生道の苦しみを味はせた自分を死の刹那に於て心から信頼してゐる。さうした言葉を聴いたとき、瑠璃子の良心は、可なり深い痛手を負はずにはゐられなかつた。
悪魔だと思つて刺し殺したものは、意外にも人間の相を現してゐる。が、刺し殺した瑠璃子自身は、刺し殺す径路に於て、刺し殺した結果に於て、悪魔に近いものになつてゐる。
自分の一生を犠牲にして、倒したものは、意外にも倒し甲斐のないものだつた。恋人を捨てゝ、処女としての誇を捨てゝ、世の悪評を買ひながら、全力を尽くして、戦つた戦ひは、戦ひ栄《ばえ》のしない無名の戦だつた。
負けた勝平は、負けながら、その死床に人間として救はれてゐる。が、見事に勝つた瑠璃子は、救はれなかつた。
自分の一生を賭してかゝつた仕事が、空虚な幻影であることが、分つた時ほど、人間の心が弛緩し堕落することはない。
彼女の心は、その時以来別人のやうに荒んだ。清浄《しやうじやう》なる処女時代に立ち帰ることは、その肉体は許しても、心が許さなかつた。敵と戦ふために、自分自身心に塗つた毒は、いつの間にか、心の中《うち》深く浸み入つて消えなかつた。
その上に、もつと悪いことには、名ばかりの妻として、擅《ほしいまゝ》にした物質上の栄華が、何時の間にか、彼女の心に魅力を持ち始めてゐた。
彼女は、荒んだ心と、処女としての新鮮さと、未亡人とし
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