蛮の女と契《ちぎ》るなどは、何事であろうと考えた。彼は、主《あるじ》が流人になったため、心までが畜生道に陥ちたのではないかと嘆き悲しんだ。
彼は、その夜、夜を徹して俊寛に帰洛《きらく》を勧めた。平家に対する謀反の第一番であるだけに、鎌倉にある右府《うふ》どのが、僧都の御身の上を決して疎《おろそ》かには思うまいといった。
俊寛は、平家一門が、滅んだときいたときには、さすがに会心の微笑《えみ》をもらし、妻の松の前や鶴の前が身まかったということをきいたときには、涙を流したが、帰洛の勧めには、最初から首を横に振った。有王が、涙を流しての勧説《かんぜい》も、どうすることもできなかった。
夜が明けると、それは有王の船が、出帆の日であった。有王は、主の心に物怪《もののけ》が憑《つ》いたものとして、帰洛の勧めを思い切るよりほかはなかった。
俊寛は、妻と五人の子供とを連れながら、船着場まで見送りに来た。
そこで、形見にせよといって、俊寛が自分で刻んだ木像をくれた。それは、俊寛が、彼自信の妻の像を刻んだものだった。俊寛の帰洛を妨げるものは彼の妻子であると思うと、有王はその木像までが忌《いま》わし
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