女も元の場所へ帰って蹲る。そして、時々思い出したように歌いつづける。
その翌日も、俊寛は同じ場所に行った。その翌々日も、俊寛は同じ場所へ行った。もう鰤を釣る目的ではなかった。
幾日も幾日も、そうした情景が続いた後、少女はとうとうその牝鹿《めじか》のようにしなやかな身体を、俊寛の強い双腕《もろうで》に委してしまった。
俊寛は、もう孤独ではなかった。かの少女は、間もなく俊寛のために、従順な愛すべき妻となった。むろん、土人たちは彼らの少女を拉《らっ》したのを知ると、大挙して俊寛の小屋を襲って来た。二十人を越す大勢に対して、すこしも怯《ひる》むところなく、鉞《まさかり》をもって立ち向った俊寛の勇ましい姿は、少女の俊寛に対する愛情を増すのに、十分であった。が、恐ろしい惨劇《さんげき》が始まろうとする刹那、少女はいちはやく土人の頭《らしい》らしい老人の前に身を投じた。それは、少女の父であるらしかった。老人は、少女から何事かをきくと、怒り罵《ののし》る若者たちを制して、こともなく引き上げて行った。
その事件があった後は、俊寛の家庭には、幸福と平和のほかは、何物も襲って来なかった。
手助けのできた俊寛は、自分たちの生活を、いろいろな点でよくしていった。都会生活の経験のよいところだけを妻に教えた。無知ではあったが、利発な彼女は俊寛のいうことを理解して、すこしずつ家庭生活を愉快にしていった。
結婚してからすぐ、俊寛は、妻に大和《やまと》言葉を教えはじめた。三月経ち四月経つうちには、日常の会話には、ことを欠かなかった。蔓草のさねかずらをした妻が、閑雅《かんが》な都言葉を口にすることは、俊寛にとって、この上もない楽しみであった。言葉を一通り覚えてしまうと、俊寛は、よく妻を砂浜へ連れて行って、字を書くことを教えた。浅香山《あさかやま》の歌を幾度となく砂の上に書き示した。
妻は、その年のうちに、妊娠した。こうした生活をする俊寛にとって、子供ができるということは普通人の想像も及ばない喜びだった。俊寛は、身重くなった妻を嘗《な》めるように、いたわるのであった。翌年の春に、妻は玉のような男の子を産んだ。子供ができてからの俊寛の幸福は、以前の二倍も三倍にもなった。
俊寛の畑は毎年よく実った。彼は子供ができたのを機会に、妻に手伝わせて、小屋を新しく建て直した。もう、どんな嵐が来ても、びくともしないような堅牢なものになった。
男の子が生れたその翌年に、今度は女の子が生れ、その二年目に、今度はまた男の子が生れた。子供の成長とともに、俊寛の幸福は限りもなく大きくなっていった。鬼界ヶ島に流されたことが、自分の不運であったか幸福であったか分からない、とまで考えるようになっていた。
四
有王《ありおう》が、故主の俊寛を尋ねて、都からはるばると九|国《ごく》に下り、そこの便船を求めて、硫黄商人の船に乗り、鬼界ヶ島へ来たのは、文治《ぶんじ》二年の如月半《きさらぎなか》ばのことだった。
寿永《じゅえい》四年に、平家の一門はことごとく西海《さいかい》の藻屑《もくず》となり、今は源家の世となっているのであるから、俊寛に対する重科も自然消え果てて、赦免の使者が朝廷から到来すべきはずであったが、世は平家の余類追討に急がわしく、その上、俊寛は過ぐる治承三年に、鬼界ヶ島にて絶え果てたという風聞さえ伝わっていたから、俊寛のことなどは、何人《なんびと》の念頭にもなかった。
ただ、故主を慕う有王だけは、俊寛の最期を見届けたく、千里の旅路に、憂《う》き艱難《かんなん》を重ねて、鬼界ヶ島へ下ったのである。
島へ上陸した有王は、三日の間、島中を探し回った。が、それらしい人には絶えて会わなかった。島人には、言葉不通のため、ききあわすべき、よすがもなかった。そのうちに、便乗してきた商人船の出帆の日が迫った。今は俊寛が生活した旧跡でも見たいと思って、人の住む所と否とを問わず、島中を縫うように駆け回った。
四日目の夕暮、有王は人里遠く離れた海岸で、人声を聞いた。それが思いがけなくも大和言葉であった。有王は、林の中を潜って、人声のする方へ行った。見ると、そこは、ひろびろと拓かれた畑で、二人の男女の土人が、並んで耕しているのであった。しかも、彼らは大和言葉で、高々と打ち語っているのであった。有王は、おどろきのあまりに、畑のそばに立ち竦《すく》んでしまった。有王の姿を見たその男は、すぐその鍬を捨ててつかつかとそばへ寄って来た。
その男は、じっと有王の姿を見た。有王も、じっとその姿を見た。その男の眉の上のほくろを見出すと、有王は、
「俊寛|僧都《そうず》どのには、ましまさずや」
そう叫ぶと、飛鳥のように俊寛の手元に飛び縋《すが》った。
その男は、大きく頷いた。そし
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