船は、流人《るにん》たちの姿を見ると、舳を岸の方へ向けて、帆をひたひたと下ろしはじめた。やがて、船は岸から三反とない沖へ錨《いかり》を投げる。三人は岸辺に立ちながら、声を合せて欣《よろこ》びの声をあげた。さすがに、俊寛をも除外しないで、三人は、手をとりあったまま、声をあげて泣きはじめたのである。

          二

 船は、流人たちの期待に背《そむ》かず、清盛からの赦免の使者、丹左衛門尉基康《たんさえもんのじょうもとやす》を乗せていた。が、基康の持っていた清盛の教書は、成経と康頼とを天国へ持ち上げるとともに、俊寛を地獄の底へ押し落した。俊寛は、狂気のように、その教書を基康の手から奪い取って、血走る目を注いだけれども、そこには俊寛とも僧都《そうず》とも書いてはなかった。俊寛は、激昂のあまり、最初は使者を罵《ののし》った。俊寛の名が漏れたのは、使者の怠慢であるといいつのった。が、基康が、その鋒鋩《ほうぼう》を避けて相手にしないので、今度は自分を捨てて行こうとする成経と康頼に食ってかかった。そして、成経と康頼とを卑怯者であり、裏切者であると罵倒した。成経が、それに堪えかねて、二|言《こと》三|言《こと》言葉を返すと、俊寛はすぐかっとなって、成経に掴《つか》みかかろうとして、基康の手の者に、取りひしがれた。
 それから後、幾時間かの間の俊寛の憤りと悲しみと、恥とは喩《たと》えるものもなかった。彼は、目の前で、成経と康頼とがその垢《あか》じみた衣類を脱ぎ捨てて、都にいる縁者から贈られた真新しい衣類に着替えるのを見た。嬉し涙をこぼしながら、親しい者からの消息を読んでいるのを見た。が、重科を赦免せられない俊寛には、一通の玉章《たまずさ》をさえ受くることが許されていなかった。俊寛は、砂を噛み、土を掻きむしりながら、泣いた。
 船は、飲料水と野菜とを積み込み、成経と康頼とを収めると、手を合わして乗船を哀願する俊寛を浜辺に押し倒したまま、岸を離れた。
 そして、俊寛をもっと苦しめるための故意からするように、三反ばかりの沖合に錨を投げて、そこで一夜を明かすのであった。
 俊寛は、終夜浜辺に立って、叫びつづけた。最初は罵り、中途では哀願し、最後には、たわいもなく泣き叫んだ。
「判官どの、のう! 今一言申し残せしことの候ぞ。小舟なりとも寄せ候え」
「基康どの、僧都をあわれと思召《
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