いものに思われたが、主の贈物をむげにしりぞけるわけにもいかないので、船に乗ってから捨てるつもりで、何気なくそれを受取った。
 別れるとき、俊寛は、
「都に帰ったら、俊寛は治承三年に島で果てたという風聞を決して打ち消さないようにしてくれ。島に生き永らえているようなことを、決していわないようにしてくれ。松の前が、鶴の前が生き永らえていたらまた思うようもあるが、今はただひたぶるに、俊寛を死んだものと世の人に思わすようにしてくれ」
 そんな意味をいった。その大和言葉が、かなり訛《なまり》が激しいので、有王は言葉通りには覚えていられなかった。
 有王の船が出ると、俊寛及びその妻子は、しばらく海辺に立って見送っていたが、やがて皆は揃って、彼らの小屋の方へ歩き始めた。五人の子供たちが、父母を中に挟んで、嬉々として戯《たわむ》れながら帰って行く一行を、船の上から見ていた有王は、最初はそれを獣か何かの一群《ひとむれ》のようにあさましいと思っていたが、そのうちになんとも知れない熱い涙が、自分の頬を伝っているのに気がついた。



底本:「菊池寛 短編と戯曲」文芸春秋
   1988(昭和63)年3月25日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:真先芳秋
校正:大野 晋
2000年8月28日公開
2005年10月14日修正
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