ろう。十分昇り切った朝の太陽のもとに、紺碧《こんぺき》の潮が後から後から湧くように躍っていた。海に接している砂浜は金色《こんじき》に輝き、飛び交うている信天翁《あほうどり》の翼から銀の光を発するかと疑われ、いつもは見ることを厭っていた硫黄ヶ岳に立つ煙さえ、今朝は澄み渡った朝空に、琥珀色《こはくいろ》に優にやさしくたなびいている。
俊寛は、童《わらべ》のようなのびやかな心になりながら、両手を差し広げ、童のように叫びながら自分の小屋へ駆け戻った。
三
島に来て以来一年の間、俊寛の生活は、成経や康頼との昔物語から、謀反の話をして、おしまいにはお互いの境遇を嘆き合うか、でなければ、砂丘の上などに登りながら、波路《なみじ》遥かな都を偲《しの》んで溜息をつきながら、一日を茫然と過ごしてしまうのであったが、俊寛はそうした生活を根本から改めようと決心した。
彼は、つとめて都のことを考えまいとした。従って、成経や康頼のことを考えまいとした。彼は、成経や康頼が親切に残して置いてくれた狩衣《かりぎぬ》や刺貫《さしつら》を、海中へ取り捨てた。長い生活の間には、衣類に困るのは分かりきっていた。が、困ったら、土人のように木の皮を身に纏《まと》うても差支えないと考えた。
その上、三人でいた間は、肥前《ひぜん》の国《くに》加瀬《かせ》の荘《しょう》にある成経の舅《しゅうと》から平家の目を忍んでの仕送りで、ほそぼそながら、朝夕《ちょうせき》の食に事を欠かなかった。そのためでもあるが、三人は大宮人《おおみやびと》の習慣を持ちつづけて、なすこともなく、毎日暮していた。俊寛は、そうした生活を改め、自分で漁《すなど》りし、自分で狩りし、自分で耕《たがや》すことを考えた。
彼は、そういう生活に入る第一歩として、成経や康頼の記憶がつきまとっている今までの小屋を焼き捨て、自分で発見したあの泉の畔《ほとり》に、新しい家を自分で建てることを考えた。
彼は、その日から、泉に近い山林へ入って、木を伐った。彼が持っている道具は、一挺の小さい鉞《まさかり》と二本の小太刀であった。周囲が一尺もある木は、伐り倒すのに四|半刻《はんどき》近くかかった。が、彼が額《ひたい》に汗を流しながら、その幹に鉞を打込むとき、彼は名状しがたい壮快な気持がする。清盛に対する怨みなどは、そうした瞬間、泡のように彼
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