醜い家鴨の子
DEN GRIMME AELING
ハンス・クリスチャン・アンデルゼン Hans Christian Andersen
菊池寛訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)田舎《いなか》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|羽《わ》

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(例)百姓家《ひゃくしょうや》が[#「百姓家が」は底本では「百性家が」]
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 それは田舎《いなか》の夏《なつ》のいいお天気《てんき》の日《ひ》の事《こと》でした。もう黄金色《こがねいろ》になった小麦《こむぎ》や、まだ青《あお》い燕麦《からすむぎ》や、牧場《ぼくじょう》に積《つ》み上《あ》げられた乾草堆《ほしくさづみ》など、みんなきれいな眺《なが》めに見《み》える日《ひ》でした。こうのとりは長《なが》い赤《あか》い脚《あし》で歩《ある》きまわりながら、母親《ははおや》から教《おそ》わった妙《みょう》な言葉《ことば》でお喋《しゃべ》りをしていました。
 麦畑《むぎばたけ》と牧場《ぼくじょう》とは大《おお》きな森《もり》に囲《かこ》まれ、その真《ま》ん中《なか》が深《ふか》い水溜《みずだま》りになっています。全《まった》く、こういう田舎《いなか》を散歩《さんぽ》するのは愉快《ゆかい》な事《こと》でした。
 その中《なか》でも殊《こと》に日当《ひあた》りのいい場所《ばしょ》に、川《かわ》近《ちか》く、気持《きもち》のいい古《ふる》い百姓家《ひゃくしょうや》が[#「百姓家が」は底本では「百性家が」]立《た》っていました。そしてその家《いえ》からずっと水際《みずぎわ》の辺《あた》りまで、大《おお》きな牛蒡《ごぼう》の葉《は》が茂《しげ》っているのです。それは実際《じっさい》ずいぶん丈《たけ》が高《たか》くて、その一番《いちばん》高《たか》いのなどは、下《した》に子供《こども》がそっくり隠《かく》れる事《こと》が出来《でき》るくらいでした。人気《ひとけ》がまるで無《な》くて、全《まった》く深《ふか》い林《はやし》の中《なか》みたいです。この工合《ぐあい》のいい隠《かく》れ場《ば》に一|羽《わ》の家鴨《あひる》がその時《とき》巣《す》について卵《たまご》がかえるのを守《まも》っていました。けれども、もうだいぶ時間《じかん》が経《た》っているのに卵《たまご》はいっこう殻《から》の破《やぶ》れる気配《けはい》もありませんし、訪《たず》ねてくれる仲間《なかま》もあまりないので、この家鴨《あひる》は、そろそろ退屈《たいくつ》しかけて来《き》ました。他《ほか》の家鴨達《あひるたち》は、こんな、足《あし》の滑《すべ》りそうな土堤《どて》を上《のぼ》って、牛蒡《ごぼう》の葉《は》の下《した》に坐《すわ》って、この親家鴨《おやあひる》とお喋《しゃべ》りするより、川《かわ》で泳《およ》ぎ廻《まわ》る方《ほう》がよっぽど面白《おもしろ》いのです。
 しかし、とうとうやっと一《ひと》つ、殻《から》が裂《さ》け、それから続《つづ》いて、他《ほか》のも割《わ》れてきて、めいめいの卵《たまご》から、一|羽《わ》ずつ生《い》き物《もの》が出《で》て来《き》ました。そして小《ちい》さな頭《あたま》をあげて、
「ピーピー。」
と、鳴《な》くのでした。
「グワッ、グワッってお言《い》い。」
と、母親《ははおや》が教《おし》えました。するとみんな一生懸命《いっしょうけんめい》、グワッ、グワッと真似《まね》をして、それから、あたりの青《あお》い大《おお》きな葉《は》を見廻《まわ》すのでした。
「まあ、世界《せかい》ってずいぶん広いもんだねえ。」
と、子家鴨達《あひるたち》は、今《いま》まで卵《たまご》の殻《から》に住《す》んでいた時《とき》よりも、あたりがぐっとひろびろしているのを見《み》て驚《おどろ》いて言《い》いました。すると母親《ははおや》は、
「何《なん》だね、お前達《まえたち》これだけが全世界《ぜんせかい》だと思《おも》ってるのかい。まあそんな事《こと》はあっちのお庭《にわ》を見《み》てからお言《い》いよ。何《なに》しろ牧師《ぼくし》さんの畑《はたけ》の方《ほう》まで続《つづ》いてるって事《こと》だからね。だが、私《わたし》だってまだそんな先《さ》きの方《ほう》までは行《い》った事《こと》がないがね。では、もうみんな揃《そろ》ったろうね。」
と、言《い》いかけて、
「おや! 一番《いちばん》大《おお》きいのがまだ割《わ》れないでるよ。まあ一体《いったい》いつまで待《ま》たせるんだろうねえ、飽《あ》き飽《あ》きしちまった。」
 そう言《い》って、それでもまた母親《ははおや》は巣《す》に坐《すわ》りなおしたのでした。
「今日《こんにち》は。御子様《おこさま》はどうかね。」
 そう言《い》いながら年《とし》とった家鴨《あひる》がやって来《き》ました。
「今《いま》ねえ、あと一《ひと》つの卵《たまご》がまだかえらないんですよ。」
と、親家鴨《おやあひる》は答《こた》えました。
「でもまあ他《ほか》の子達《こたち》を見《み》てやって下さい。ずいぶんきりょう好《よ》しばかりでしょう? みんあ父親《ちちおや》そっくりじゃありませんか。不親切《ふしんせつ》で、ちっとも私達《あたしたち》を見《み》に帰《かえ》って来《こ》ない父親《ちちおや》ですがね。」
 するとおばあさん家鴨《あひる》が、
「どれ私《わたし》にその割《わ》れない卵《たまご》を見《み》せて御覧《ごらん》。きっとそりゃ七|面鳥《めんちょう》の卵《たまご》だよ。私《わたし》もいつか頼《たの》まれてそんなのをかえした事《こと》があるけど、出《で》て来《き》た子達《こたち》はみんな、どんなに気《き》を揉《も》んで直《なお》そうとしても、どうしても水《みず》を恐《こわ》がって仕方《しかた》がなかった。私《あたし》あ、うんとガアガア言《い》ってやったけど、からっきし駄目《だめ》! 何《なん》としても水《みず》に入《い》れさせる事《こと》が出来《でき》ないのさ。まあもっとよく見《み》せてさ、うん、うん、こりゃあ間違《まちが》いなし、七|面鳥《めんちょう》の卵《たまご》だよ。悪《わる》いことは言《い》わないから、そこに放《ほ》ったらかしときなさい。そいで早《はや》く他《ほか》の子達《こたち》に泳《およ》ぎでも教《おし》えた方《ほう》がいいよ。」
「でもまあも少《すこ》しの間《あいだ》ここで温《あたた》めていようと思《おも》いますよ。」
と、母親《ははおや》は言《い》いました。
「こんなにもう今《いま》まで長《なが》く温《あたた》めたんですから、も少《すこ》し我慢《がまん》するのは何《なん》でもありません。」
「そんなら御勝手《ごかって》に。」
 そう言《い》い棄《す》てて年寄《としより》の家鴨《あひる》は行《い》ってしまいました。
 とうとう、そのうち大《おお》きい卵《たまご》が割《わ》れてきました。そして、
「ピーピー。」
と鳴《な》きながら、雛鳥《ひな》が匐《は》い出《だ》してきました。それはばかに大《おお》きくて、ぶきりょうでした。母鳥《ははどり》はじっとその子《こ》を見《み》つめていましたが、突然《とつぜん》、
「まあこの子《こ》の大《おお》きい事《こと》! そしてほかの子《こ》とちっとも似《に》てないじゃないか! こりゃあ、ひょっとすると七面鳥《しちめんちょう》かも知《し》れないよ。でも、水《みず》に入《い》れる段《だん》になりゃ、すぐ見分《みわ》けがつくから構《かま》やしない。」
と、独言《ひとりごと》を言《い》いました。
 翌《あく》る日《ひ》もいいお天気《てんき》で、お日様《ひさま》が青《あお》い牛蒡《ごぼう》の葉《は》にきらきら射《さ》してきました。そこで母鳥《ははどり》は子供達《こどもたち》をぞろぞろ水際《みずぎわ》に連《つ》れて来《き》て、ポシャンと跳《と》び込《こ》みました。そして[#「そして」は底本では「そしそ」]、グワッ、グワッと鳴《な》いてみせました。すると小《ちい》さい者達《ものたち》も真似《まね》して次々《つぎつぎ》に跳《と》び込《こ》むのでした。みんないったん水《みず》の中《なか》に頭《あたま》がかくれましたが、見《み》る間《ま》にまた出《で》て来《き》ます。そしていかにも易々《やすやす》と脚《あし》の下《した》に水《みず》を掻《か》き分《わ》けて、見事《みごと》に泳《およ》ぎ廻《まわ》るのでした。そしてあのぶきりょうな子家鴨《こあひる》もみんなと一緒《いっしょ》に水《みず》に入り、一緒《いっしょ》に泳《およ》いでいました。
「ああ、やっぱり七面鳥《しちめんちょう》じゃなかったんだ。」
と、母親《ははおや》は言《い》いました。
「まあ何《なん》て上手《じょうず》に脚《あし》を使《つか》う事《こと》ったら! それにからだもちゃんと真《ま》っ直《す》ぐに立《た》ててるしさ。ありゃ間違《まちが》いなしに私《あたし》の子《こ》さ。よく見《み》りゃ、あれだってまんざら、そう見《み》っともなくないんだ。グワッ、グワッ、さあみんな私《わたし》に従《つ》いてお出《い》で。これから偉《えら》い方々《かたがた》のお仲間《なかま》入《い》りをさせなくちゃ。だからお百姓《ひゃくしょう》さんの裏庭《にわ》の方々《かたがた》に紹介《しょうかい》するからね。でもよく気《き》をつけて私《わたし》の傍《そば》を離《はな》れちゃいけないよ。踏《ふ》まれるから。それに何《なに》より第一《だいいち》に猫《ねこ》を用心《ようじん》するんだよ。」
 さて一同《いちどう》で裏庭《にわ》に着《つ》いてみますと、そこでは今《いま》、大騒《おおさわ》ぎの真《ま》っ最中《さいちゅう》です。二《ふた》つの家族《かぞく》で、一《ひと》つの鰻《うなぎ》の頭《あたま》を奪《うば》いあっているのです。そして結局《けっきょく》、それは猫《ねこ》にさらわれてしまいました。
「みんな御覧《ごらん》、世間《せけん》はみんなこんな風《ふう》なんだよ。」
と、母親《ははおや》は言《い》って聞《き》かせました。自分《じぶん》でもその鰻《うなぎ》の頭《あたま》が欲《ほ》しかったと見《み》えて、嘴《くちばし》を磨《す》りつけながら、そして、
「さあみんな、脚《あし》に気《き》をつけて。それで、行儀《ぎょうぎ》正《ただ》しくやるんだよ。ほら、あっちに見《み》える年《とし》とった家鴨《あひる》さんに上手《じょうず》にお辞儀《じぎ》おし。あの方《かた》は誰《たれ》よりも生《うま》れがよくてスペイン種《しゅ》なのさ。だからいい暮《くら》しをしておいでなのだ。ほらね、あの方《かた》は脚《あし》に赤《あか》いきれを結《ゆわ》えつけておいでだろう。ありゃあ家鴨《あひる》にとっちゃあ大《たい》した名誉《めいよ》なんだよ。つまりあの方《かた》を見失《みうし》わない様《よう》にしてみんなが気《き》を配《くば》ってる証拠《しょうこ》なの。さあさ、そんなに趾《あしゆび》を内側《うちがわ》に曲《ま》げないで。育《そだ》ちのいい家鴨《あひる》の子《こ》はそのお父《とう》さんやお母《かあ》さんみたいに、ほら、こう足《あし》を広《ひろ》くはなしてひろげるもんなのだ。さ、頸《くび》を曲《ま》げて、グワッって言《い》って御覧《ごらん》。」
 家鴨《あひる》の子達《こたち》は言《い》われた通《とお》りにしました。けれどもほかの家鴨達《あひるたち》は、じろっとそっちを見《み》て、こう言《い》うのでした。
「ふん、また一孵《ひとかえ》り、他《ほか》の組《くみ》がやって来《き》たよ、まるで私達《わたしたち》じゃまだ足《た》りないか何《なん》ぞの様《よう》にさ! それにまあ、あの中《なか》の一|羽《わ》は何《なん》て妙《みょう》ちきりんな顔《かお》をしてるんだろう。あんなのここに入れてやるもんか。」
 そう言《い》ったと思《おも》うと、突然《とつぜん》一|羽《わ》跳《
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