表行き、急度《きっと》申付く可候、是又《これまた》早速相果す可く候」
と軒昂の意気を示して居る。今、十国峠あたりから見ると、山中は湯河原なんかと丁度反対側の小集落だ。併しとに角、箱根山塊の一端だから「今日箱根峠に打ち登り候」と子供の様に喜んで居るのだ。又それだけに、箱根山脈が如何に当時の武将の間に、戦術上の要害として深刻に考えられて居たかが分ると思う。
一方韮山城攻囲の主将は織田信雄である。併し城主の北条|氏規《うじのり》は、北条家随一の名将として知られて居る程の人物だから、四万四千の寄手も相当に苦戦である。流石の福島正則みたいな向う見ずの大将も、一時、退却したくらいだ。実際に氏規の韮山城の好防は、小田原役の花と謳《うた》われたものである。
韮山城が容易に陥ちないと定《きま》ると、秀吉は一部の兵を以て持久攻囲の策をとり、袋の鼠にして置いて、全軍を以て愈々小田原攻撃の本舞台に乗り出した。
小田原包囲
四月五日、秀吉は本営を箱根から、湯本早雲寺に移した。山の中とはことかわり、溌溂《はつらつ》たる陽春の気は野に丘に満ち、快い微風は戦士等の窶《やつ》れた頬を撫でて居る
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