ゃアありませんか。ダイヤモンド鉱山だけでも――」
バアロウ氏は、くるりと女史の方へ向き直りました。
「ダイヤモンド鉱山なんて、そんなもの、あるものですか。そんなものは、あったためしもない。」
ミンチン女史は、たちまち椅子から立ち上りました。
「え? 何と仰しゃいます?」
バアロウ氏は、意地悪く答えました。
「とにかく、そんなものは、なかった方がよかったくらいです。」
「なかった方がよかったって?」
ミンチン女史は、椅子の背をしかと掴んで叫びました。何か素敵な夢が消えて行くような気がしました。
「ダイヤモンド鉱山などというものは、富よりも破産を意味する場合が多いものです。事業に明るくない人が、親友の手の中《うち》にまるめこまれて、その親友の鉱山に投資するなんて、大間違いです。死んだクルウ大尉にしても――」
今度は、ミンチン女史が皆までいわせませんでした。
「死んだ大尉ですって? まさか、あなたはクルウ大尉が――」
「大尉は亡くなられました。事業が面白くないところへ、マラリヤ熱に襲われて亡くなられたのです。」
ミンチン女史は、どかりと腰を落しました。女史はぼんやりしてしまいました。
「面白くなかったと申すのは?」
「ダイヤモンド鉱山がです。大尉はその親友のためにも、破産のためにも、悩まれたようですな。」
「破産ですって?」
「一文なしになられたのです。大尉は若いくせに金がありすぎるくらいだったのでしたが、その親友がダイヤモンド鉱山に夢中になって、大尉の金まですっかりその事業に注ぎこんでしまったのでした。親友が逃げたと聞いた時には、大尉はもう熱病にとりつかれていました。おそろしい打撃だったに違いありません。大尉は昏々《こんこん》と死んで行きました。娘のことを口走りながら――が、その娘のためには、一文も残さずに。」
ミンチン先生は、それでやっと事情をのみこむことが出来ました。こんなひどい目にあったのは初めてでした。お自慢の生徒と、お自慢の出資者が、一度に模範学校から、浚《さら》い取られてしまったのです。女史は何か盗まれたような気がしました。クルウ大尉も、セエラも、バアロウ氏も、皆悪いのだというような気がしました。
「じゃア、あなたは、大尉が一文も残さずに死んだと仰しゃるのですね。つまり、セエラには財産がない。あの娘は乞食だ。お金持になるどころか、食いつぶしとして、私の手に残されたのだと仰しゃるのですね。」
バアロウ氏は、抜目のない事務家でしたので、もうここらで自分の責任を果してしまった方がいいと思いました。
「乞食として残されたに違いありません。またあなたの手に残されたのにも違いございません。他に身よりというものはないようですからな。」
ミンチン女史は急に歩き出しました。女史は今にも部屋から飛び出して、今たけなわな祝宴《しゅくえん》をやめさせてしまおうと思っているようでした。
「莫迦にしている。あの子は今私の部屋で、私のお金で、御馳走をしているのだ。」
「そりゃアその通りですな。」バアロウ氏は平気でいいました。「我々代理人は、もう何の支払いも出来ませんからな。クルウ大尉は、我々への支払いもせずに死んでしまいました。それも、かなりな額だったのです。」
ミンチン女史は、ますます不機嫌になって、ふり返りました。こんな災難がふりかかろうとは、今の今までは、夢にも思わないことでした。
「私は、あの娘のために、どんなにお金を使ったって、きっと払ってくれることを、信じきっていたのです。あの莫迦々々しい人形の代も、衣裳の代も、皆この私が立てかえておいたのです。あの子のためなら、何でも買ってやってくれ、といわれていたのですからね。あの子は馬車も持っているし、小馬も持っているし、女中もつけてある。この前の送金があってからこっちは、私がみんなその費用を立てかえているのですよ。」
バアロウ氏は、それ以上ミンチン女史の愚痴話を聞こうとしませんでした。
「これ以上は、もうお支払いなさらんがいいでしょう。あの御令嬢に贈物をなさる思召しなら別ですがな。」
「ですが、私は、この際どうしたらいいのでしょう。」
女史は、バアロウ氏に処置をつけてもらうのがあたりまえだというように、訊ねました。
「どうするも、こうするもないですな。」バアロウ氏は眼鏡をたたんで、ポケットに入れました。「クルウ大尉は死んでしまったと。子供は食いつぶしになってしまったと。あの娘について責任のあるものがあるとすれば、あなたぐらいなものですな。」
「何で、私に責任があると仰しゃるのです。そんな責任は、断然おことわりします。」
ミンチン女史は、立腹のあまり蒼白くなりました。バアロウ氏は立ちかけて、気のない声でいいました。
「あなたが、責任をお持ちになろうと、お持ちになるまいと、私はこの際どうすることも出来ません。こんなことになって、お気の毒とは存じておりますが。」
「それで、私にあの娘をおしつけたおつもりなら、大間違いですよ。私は泥棒にあったのだ、欺《だま》されたんだ。あの娘は、おもてに追い出してやるばかりだ。」
バアロウ氏は、平然と戸口に立っていいました。
「私なら、そんなことはしませんな。世間の眼によく見えるはずはありませんからね。この学校に関して悪い評判がたつばかりでしょうからね。それよりもいっそ、あの子を養っておいて、役に立てたらいかがです。なかなか利口な子だから、大きくなりさえすれば、あの子からうんとしぼれますぞ。」
「大きくならないうちにだって、うんとしぼりとってやるから。」
「確かにしぼれるでしょう。では、さようなら。」
バアロウ氏は、皮肉に笑ってお辞儀をしながら、戸を閉めて去りました。ミンチン女史は、しばらく突っ立ったまま、閉された戸を睨んでおりました。男のいったことはほんとうだと、彼女は思いました。もうどうすることも出来ないのです。今まで一番大事な生徒だったセエラは、いきなり乞食娘になってしまったのです。今までセエラのために立てかえたお金は、もう戻してもらう術《すべ》もないのです。
ふと、宴会場にあてたミンチン女史の部屋から、わっという歓声が聞えて来ました。この宴会だけでも中止して、そのために使ったお金を取り戻そうと、女史は思いました。が、女史がその方へ立ちかけたとたんに、アメリア嬢が戸を開けて入って来ました。アメリア嬢は姉のただならぬ様子を見ると、思わずあとじさりしました。
「姉さん、どうしたの?」
姉は、咬《か》みつくような声でいいました。
「セエラ・クルウはどこにいる?」
「セエラ? セエラは子供達と一緒に、姉さんのお部屋にいるのにきまってますわ。」
「あの子は、黒い服を持ってるかい?」
「え? 黒い服?」
「たいていの色の服は持ってるようだけど、黒いのはあったかしら、というんだよ。」
アメリア嬢[#「アメリア嬢」は底本では「サメリア嬢」]は真蒼《まっさお》になりました。
「黒いのはないでしょう。あ、あるわ。でも、あれはもう丈が短すぎるわ。古い黒天鵞絨の服で、あの子が小さい時着ていたのですわ。」
「あの子にそういっておくれ、早くその大それた桃色の服を脱いで、短くても何でも、その黒い服を着ろって。いい着物どころの騒ぎじゃアないんだから。」
「まア姉さん、何事が起きたの?」
「クルウ大尉が死んだのさ。一文なしで死んじゃったのだよ。あの気まぐれな我儘娘は、私の居候になったわけさ。」
アメリア嬢は、手近の椅子にどかりと腰を下しました。
「莫迦々々しい。私はあの子のために何千円ってお金を使ってしまったんだよ。もう一銭だって返しちゃアもらえないんだ。だから、早くあいつのお誕生祝いなんか止めてしまわなければ。すぐ着物をきかえろっていっておくれ。」
「あの、あたし、もう少したってからじゃアいけません?」
「たった今行って話せといってるんだよ。何だい、鵞鳥みたいな眼つきをしてさ。早くおいでったら。」
アメリア嬢は、鵞鳥と呼ばれることには慣れきっていました。鵞鳥みたいな人間だからこそ、いやなことばかりいいつけられるのだと、自分でも思っていたくらいでした。でも、子供達のよろこんでいる最中《さなか》に出て行って、その会の主人公であるセエラに、お前はもう乞食になり下ったのだ、父の喪のためちんちくりんの黒い服に着かえなければいけない、というのは、何だかいやでなりませんでした。
アメリア嬢は眼の赤くなるほど、手巾《ハンケチ》でこすると、黙って姉のいる部屋から出て行きました。妹が出て行ってしまうと、ミンチン先生は、思わず大きな声で独言《ひとりごと》をいいながら、部屋の中を歩き廻りました。この一年間、ダイヤモンド鉱山のことは、ミンチン女史にいろいろの未来を想わせていたのでした。ダイヤモンド鉱山の持主が助けてくれれば、株でお金を儲けることも出来ると思っていたのでした。が、今はお金儲けの代りに、自分がセエラのために使って失くしたお金のことを考えなければならないのでした。
「ふん、セエラ女王殿下か。あいつは、まるで女王《クウィン》ででもあるかのように、したい放題にふるまっていたのだ。」
そういいながら、女史は腹立たしげに、部屋の隅にあるテエブルの傍《かたわら》を掠め過ぎようとしました。と、テエブル掛のかげから、急に欷歔《すすりなき》の声が響き出て来るのに吃驚《びっくり》して、思わず一|歩《あし》身《み》をひきました。
「どうしたというんだろう。」
すすり泣く声がまた聞えたので、女史は身をかがめて、テエブル掛を捲り上げました。
「こんなところで、立ち聞きしていたな。さっさと出ておいで。」
這い出してきたのはベッキイでした。ベッキイは泣き声を出すまいと耐《こら》えていたので、真紅《まっか》な顔をしていました。
「あのう、御免下さい。私悪いとは思ったのですけれど。でも、私、お人形を見ていたんですの。そこへ、奥様が入っていらしったので、私|吃驚《びっくり》して、この中に隠れてしまったんですの?」
「じゃアお前は、そこで初《はじめ》っから立ち聞きをしていたわけだね。」
「いいえ、奥様。立ち聞きするつもりなんぞありゃアしません。見つからずに逃げ出せるものなら、逃げ出そうと思ったのですけど、とても駄目だと思いましたから、仕方なしに、ここに隠れていたんです。立ち聞きなんてするつもり、ちっともなかったんですけど、でも、聞えたんだから仕方ありません。」
ベッキイは、おそろしい奥様が目の前にいるということも忘れたかのように、わっと泣き出しました。
「お、お、奥様。わたし叱られると知っても申さずにはいられません。わたし、あのセエラ様がお可哀そうで、お可哀そうで――」
「出て行きなさい。」
「ええ、まいります。でも、ちょっとわたし奥様に伺いたいことがあるんでございますの。セエラ様は、あんなに御不自由なく暮しておいでだったのに、これから、女中なしではどうすることも出来ないでしょう。ですから、もしなんでしたら、わたしにお勝手の御用がすんだ後で、あの方の御用をしてあげさせて下さいませんか。出来るだけ早く片付けますから。」ベッキイは更にすすりあげながら、「奥様、セエラ様は、お可哀そうでございますわね。宮様《プリンセス》とさえいわれてらしったのに。」
ミンチン先生はベッキイにこういわれて、なぜかよけいに腹を立てました、小使娘の分際で、セエラの肩を持つなんて怪《け》しからん。――するとミンチン先生は、初めてはっきりと、セエラなんかちっとも可愛くなかったのだという事実を悟ったような気がしました。先生はがたがたと床を踏み鳴しながらいいました。
「あの子の用をしてやることなんて、断じて許さないよ。あの子には自分の用はもちろん、ほかの人の用までさせなければならないのだから。」
ベッキイは前掛で顔を隠しながら、逃げて行きました。
「まるで、何かのお話の中のようだわ。あの辛い世の中に追い出される不幸な宮様《プリンセス》のお話そっくりだわ。」
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