《ま》げない、ということを、バァネット女史は両面から書いて見せたに過ぎないのです。
『小公子』を読んで、何物かを感得された皆さんは、この『小公女』を読んで、また別な何物かを得られる事と信じます。
昭和二年十二月[#地から1字上げ]菊池 寛
[#改丁]
一 印度《いんど》からロンドンへ
ある陰気な冬の日のことでした。ロンドンの市中は、非常な霧のために、街筋《まちすじ》には街燈が点り、商店の飾窓《かざりまど》は瓦斯《ガス》の光に輝いて、まるで夜が来たかと思われるようでした。その中を、風変りなどこか変った様子の少女が、父親と一緒に辻馬車に乗って、さして急ぐともなく、揺られて行きました。父の腕に抱かれた少女は、脚を縮めて坐り、窓越しに往来の人々を眺めていました。
セエラ・クルウはまだやっと七歳なのに、十二にしてもませすぎた眼付をしていました。彼女は年中大人の世界のことを空想してばかりいましたので、自然顔付もませてきたのでしょう。彼女自身も、もう永い永い生涯を生きて来たような気持でいました。
セエラは今、父のクルウ大尉と一緒に、ボムベイからロンドンに着いたばかりのと
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