母の死と新しい母」「憶ひ出した事」「好人物の夫婦」「和解」などとの二種である。志賀氏の人格的背景は後者において濃厚である。が前者も、その芸術的価値においては決して、後者に劣らないと思う。氏は、その手法と観照において、今の文壇の如何なるリアリストよりも、もっとリアリスチックであり、その本当の心において、今の文壇の如何なる人道主義者よりも、もっと人道主義的であるように思われる。これは少くとも自分の信念である。
志賀氏は、実にうまい短篇を書くと思う。仏蘭西のメリメあたりの短篇、露国のチェホフや独逸のリルケやウィードなどに劣らない程の短篇を描くと思う。これは決して自分の過賞《かしょう》ではない。自分は鴎外博士の訳した外国の短篇集の『十人十話』などを読んでも、志賀氏のものより拙いものは沢山あるように思う。日本の文壇は外国の物だと無条件でいい物としているが、そんな馬鹿な話はないと思う。志賀氏の短篇などは、充分世界的なレヴェルまで行っていると思う。志賀氏の作品から受くるくらいの感銘は、そう横文字の作家からでも容易には得られないように自分は思う。短篇の中でも「老人」は原稿紙なら七八枚のものらしいが
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