かと思う。
氏の懐いている道徳は「人間性《ヒューマニティ》の道徳」だと自分は解している。が、その内で氏の作品の中で、最も目に着くものは正義に対する愛(Love of justice)ではないかと思う。義《ただ》しさである。人間的な「義しさ」である。「大津順吉」や「和解」の場合にはそれが最も著《いちじる》しいと思う。「和解」は或る意味において「義しさ」を愛する事と、子としての愛との恐るべき争闘とその融合である。が、「和解」を除いた他の作品の場合にも、人間的な義しさを愛する心が、随所に現われているように思われる。
が、前に言った人道主義的な温味があるというのも、今言った「義しさ」に対する愛があるという事ももっと端的に言えば、志賀氏の作品の背後には、志賀氏の人格があると言った方が一番よく判るかも知れない。そして作品に在る温味も力強さも、この人格の所産であると言った方が一番よく判るかも知れないと思う。
志賀氏の作品は、大体において、二つに別《わか》つ事が出来る。それは氏が特種な心理や感覚を扱った「剃刀」「児を盗む話」「范の犯罪」「正義派」などと、氏自身の実生活により多く交渉を持つらしい「
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