ら出張せず、一族孫三郎|景健《かげたけ》に、約一万の兵を与えて来援せしめた。
長政は、朝倉に対する義理から、……好意から信長に叛《そむ》いているのに、肝心の朝倉義景は、この大事な一戦に自ら出向いて来ないのである。隣の家《うち》が焼けている裡《うち》は、まずまずと云う考えなのである。尤も、そうした暗愚の義景を頼りにしたのは、長政の不覚でもあるが……。
長政、朝倉の来援を得て、横山城を救わんとし、二十五日小谷城を出で、その東|大寄《おおよせ》山に陣を張った。翌二十八日には、三十町も進み来り、浅井軍は野村に朝倉勢は三田村に展開した。
かくて、織田徳川軍は姉川を挾んで浅井朝倉軍と南北に対陣した。
今南軍即ち織田徳川方の陣容を見るに、
織田信長(三十七歳)
――二百四十余万石、兵数六万、姉川に来りしものは、その半数――
第一陣 阪井 政尚《まさひさ》┐
第二陣 池田 信輝│
第三陣 木下 秀吉│
第四陣 柴田 勝家├(兵各三千)
第五陣 森 可成《よしなり》│
第六陣 佐久間信盛┘
本陣 信長(兵五千余)
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