来るに違いない。そんな危険な信長を頼むよりも、此方《こちら》から手を切って、朝倉と協力した方がいいと云った。長政の忠臣遠藤喜右衛門、赤尾|美作《みまさか》などは、信長も昔の信長とは違う、今では畿内五州、美濃、尾張、三河、伊勢等十二ヶ国の領主である。以前の信長のように、そんな不信な事をやるわけはない。それに当家と朝倉とが合体しても、わずか一国半である。到底信長に敵するわけはない。この際は、磯野丹波守に一、二千の兵を出し、形式的に信長に対する加勢として越前に遣わし、只管《ひたすら》信長に頼った方が、御家長久の策であると云ったが、久政聴かず、他の家臣達も、久政に同意するもの多く、長政も父の命に背《そむ》きがたく、遂に信長に反旗を翻して、前後から信長を挾撃することになった。
越前にいた信長は、長政反すると聞いたが、「縁者である上、江北一円をやってあるのだから、不足に思うわけはない筈だ」と、容易に信じなかったが、事実だと知ると、周章して、這々《ほうほう》の体で、間道を京都に引き上げた。此の時、木下藤吉郎承って殿《しんが》りを勤めた。金ヶ崎殿軍として太閣出世|譚《ものがたり》の一頁である。
信
前へ
次へ
全31ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング