と名づけたる備前兼光の太刀を贈った。この浅井家重代の太刀を送ったのは、浅井家滅亡の前兆であると、後に語り伝えられた。
然るに無力でありながら陰謀好きの将軍義昭は、近畿を廻る諸侯を糾合して、信長を排撃せんとした。その主力は、越前の朝倉である。
信長は、朝倉退治のため、元亀元年四月、北陸の雪溶くるを待って、徳川家康と共に敦賀表に進発した。
しかも、前年長政に与えたる誓書あるに拘《かかわ》らず、長政に対して一言の挨拶もしなかった。信長が長政に挨拶しなかったのは、挨拶しては却《かえ》って長政の立場が困るだろうとの配慮があったのだろう、と云われて居る。
決して、浅井長政を馬鹿にしたのではなく、信長は長政に対しては、これまでにも、可なり好遇している。
だが、信長の越前発向を聞いて、一番腹を立てたのは、長政の父久政である。元来、久政は長政十六歳のとき、家老達から隠居をすすめられて、長政に家督を譲った位の男|故《ゆえ》、あまり利口でなく、旧弊で頑固であったに違いない。信長の違約を怒《いか》って、こんな表裏反覆の信長のことだから、越前よりの帰りがけには、きっと此の小谷《おだに》城へも押し寄せて
前へ
次へ
全31ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング