い切った、豪の者なり」と、褒めたというが、これで見ても、かなり朝倉方もやった事が分る。
朝倉勢が姉川を越えて、徳川軍に迫った時は、相当激しかったのだろう。
浅井軍の血戦
浅井を向うに廻した織田勢の方は、もっと苦戦であった。浅井方の第一陣、磯野丹波守は勇猛無双の大将だ。其の他之に従う高宮三河守、大野木大和守その他、何れも武勇の士である。元来浅井軍は中々強いのだ。だから木下藤吉郎が、一番陣を望んだが許されなかった。それは、秀吉の軍勢は、多年近江に居て浅井軍と接触している為め、浅井の武威に恐れているだろうという心配だった。従って信長も長政を優待して、味方にしておき度かったのだ。丹波守を先頭に、総勢五千余騎、鉄砲をうちかけて、織田の一番陣、酒井右近の陣に攻めかかる。丹波守自ら鑓をとって先頭に進み、騎馬の強者《つわもの》真先に立って殺到した。
右近の陣は鉄砲に打ちすくめられ嫡子久蔵(十六歳)を初め百余人撃たれて、敗走した。二番|側《ぞな》え池田勝三郎も丹波守の猛威に討靡《うちなび》けられて敗走した。
『太閤記』によると第三陣の木下秀吉が奮戦して丹波守を敗る事になっているが
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