がるを、左右に斬って落す。所左衛門、鎌鑓を打ちかけ、直基が右手の肱《ひじ》を斬って落す。直基、今は之れまでと思いけん、尋常に首を授く。
 越前勢一万余騎の中、真柄父子の勇戦と、この尋常の最期とは、後迄も長く伝えられたとある。尚『太閤記』によると、直基は討死する前に父のかばねと父が使っていた太刀とを郎党に持たせて、本国へ返したようにかいてある。戦争中、そんな余裕は無いように思われるが、併し昔の戦争は、呑気《のんき》なところもあるから、そんな事があったかも知れない。
『三州志』によると、加賀の白山神社の真柄の太刀と伝称し来《きた》るものあり、柄が三尺、刀身が六尺、合せて九尺、厚さ六分、幅一寸六分あり、鎌倉の行光の作である。行光は正宗の父である。ところが越前の気比《けび》神社に真柄の太刀の鞘《さや》だけがある。其の鞘には、小豆が三升入る。此の鞘の寸法と白山神社の鞘の寸法とは、少し違っているという事である。
 姉川の沿岸は、水田多く、人馬の足立たず、殊に越前勢は、所の案内を知らざる故、水田沼沢の地に人馬陥り、撃たるる者が多かった。真柄父子を始めとし、前波兄弟、小林瑞周軒、竜門寺、黒坂備中守等大
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