になれやと斬って廻れば、流石《さすが》の徳川勢も、直隆一人に斬り立てられ、直隆の向う所、四五十間四方は小田を返したる如くになった。かくて孫三郎景健の危急を救い漸く右岸に退却した。だが、ふり返ると味方が、尚左岸に苦戦してひきとりかねている者が多いのを見て、さらば、援《たす》けえさすべしとて引き返す。
 此時朝倉方の大将、黒坂備中守、前波新八郎、尚左岸にあり奮戦していた。前述して置いた小笠原与八郎長忠は、他国の戦に供奉《ぐぶ》せしは、今度が初めての事なので目を驚かせる程の戦せんとて、黒坂備中守に馳合った。二人とも十文字の槍だったが、小笠原の十文字|稍々《やや》長かった為めに、黒坂が十文字にからみとられ、既に危く見えたのを、小笠原槍を捨て、太刀をひきぬいて、備中守の兜を真向に撃ち、黒坂目くるめきながら、暫《しば》しは鞍にこらえけるを、二の太刀にて馬より下へ斬って落す。黒坂撃たれて、朝倉勢乱れ立ち、全軍危く見えし所に、真柄十郎左衛門及び長男十郎三郎|直基《なおもと》馳《か》け来って、父は太郎太刀、子は次郎太刀を持って縦横に斬り廻ったので、徳川勢も左右に崩れ立ったので、越前勢漸く虎口を遁《のが》れて姉川を渉《わた》りて退く。真柄父子|殿《しんがり》して退かんとする所に、徳川勢の中より匂坂《さきさか》式部同じく五郎次郎同じく六郎五郎、郎党の山田宗六主従四人真柄に馳《か》け向う。真柄「大軍の中より只四人にて我に向うことかわゆし」とて取って返す。式部|手鑓《てやり》にて真柄が草摺《くさずり》のはずれ、一鑓にて突きたれど、真柄物ともせず、大太刀をもって払い斬りに斬りたれば、匂坂が甲《かぶと》の吹返しを打ち砕き、余る太刀にて鑓を打落す。式部が弟五郎次郎、兄をかばわんとて、立ち向うを、真柄余りに強く打ちければ、五合郎が太刀を※[#「金+示+且」、第3水準1−93−34]元《はばきもと》より斬り落し、右手の股《もも》をなぎすえた。五郎、太刀の柄ばかり握って、既に危く見えけるを、弟六郎と宗六|透間《すきま》もなく救《たす》け来《きた》る。
 真柄太刀とり直し、宗六を唐竹割に割りつけたが、其の時六郎鎌鑓にて、真柄を掛け倒す。流石無双の大力の真柄も、六十に近い老《おい》武者であるし、朝より数度の働きにつかれていた為めだろう。起き上ると、尋常に「今は之れ迄なり。真柄が首を取って武士が誉れにせよ」と
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