見て、自殺せんとして母に諫《いさ》められ、其の後は日常の遊戯にまで、朝敵を討ち、尊氏を追う真似ばかりして居たと云う。
思うに彼を取巻く総《すべ》ての雰囲気が、此の少年を、亡父の義挙を継ぐべき情熱へと駆り立てて行ったのであろう。
『吉野拾遺』に、正行が淫乱な師直《もろなお》の手から弁内侍を救ったと云う有名な話がある。
「正行なかりせばいと口惜しからましに、よくこそ計ひつれ」と後村上帝が賞讃し、内侍を正行に賜らんとした。すると正行は、
「とても世に、ながらふべくもあらぬ身の、仮の契をいかで結ばん」
と奏して辞したと云う。
多分に禁欲的な、同時に自己の必然的運命を早くから甘受して居る聡明な青年武将の面影が躍如としている。
正行の活動
延元四年の秋、後醍醐天皇は吉野の南山|行宮《あんぐう》に崩御せられた。北畠親房は常陸関城にあって此の悲報を聞き、「八月の十日あまり六日にや、秋露に侵されさせ給ひて崩《かく》れましましぬと聞えし。寝《ぬ》るが中なる夢の世、今に始めぬ習ひとは知りながら、かず/\目の前なる心地して、老《おい》の涙もかきあへねば筆の跡さへ滞りぬ」と『神皇正統記
前へ
次へ
全20ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング