打擲《ちょうちゃく》なら、或は辛抱するかも知れないが、小姓などを使って殴られて、寸時も辛抱するわけはないと思う。そんな事があれば、その場で抵抗するか、或は切腹したに違いない。
しかし、光秀が信長に反《そむ》いたのは、平生の鬱憤を晴すと同時に、あわよくば天下を取ろうとする大志が、あったに違いない。秀吉が、信長の横死を機会に信長の子孫を立てずに自分で天下を取ったのを、光秀はもっと積極的に、自分の私憤を晴すと同時に、天下を志したに違いない。「三日天下」など云う言葉が残っている以上、当時天下の人心は、光秀のそうした大志を知っていたに違いない。京師《けいし》の地子銭を免除したり相当政治的なことをやった以上、信長を殺せば後は野となれ山となれ的な棄鉢でやった事ではない。
例の愛宕《あたご》山の連歌で、
[#天から4字下げ]ときは今|天《あま》が下知る五月《さつき》かな
と云う発句を見ても、天下を狙う大志が躍動しているわけである。老獪《ろうかい》なる紹巴《しょうは》は、その時気が付いていたと見え、光秀の敗軍と知るや愛宕山に馳《か》けつけて、知る[#「知る」に傍点]と云う字を消して、その上に再び知
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