いった。
この返事を考える必要は彼にはなかった。前の日に弥惣次から教わっているからである。
「命は惜しゅうござる、命ばかりは助けて下され」といった。刑部の家臣は人間のうちにこんなに命を惜しがる者がいるのが不思議で堪《たま》らなかった。彼らは勇ましく死ぬということが一つの見栄《みえ》であった。だから小さい時から飛行家が曲乗りを研究するように、他人をあっといわせる曲死の方法を研究していた。この頃の武士道の問題は、いかにして生命を安価に捨てるかということであった。彼らには生命以外のものはなんでも貴《たっと》かったのである。生命はなんと交換しても惜しくないものであった。だから右衛門の哀訴は彼らにとって、実に奇跡であった。彼らは一斉にわらった。刑部はまたからかってみたくなった。「右衛門、命は惜しいか。惜しければ手を突いて、惜しいと申せ」といった。皆はまさか武士ともあるべきものがこれほど侮辱を受けてまで命乞いをすまいと思った。しかしそれは思った者の誤解である。右衛門は涙を流しながら手を突いて、
「命は惜しゅうござる」といった。また君臣の高い嘲弄の笑声が響き渡った。刑部の心のうちには、右衛門の哀訴
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