していたのであった。
府中の館《やかた》が陥ちたという噂が昼頃伝わって来た。日中であるからはっきりは聞えなかったが、戦のさけびが聞えたり、火事の煙がほのかに見えた。お館が亡びるのだと百姓は思った。自分の家の上に覆い被さっていた大木の倒れたように明るくなったような気持もするし、なんだか残り惜しいような気持もした。しかし織田になっても武田になっても、氏元《うじもと》ほどの誅求《ちゅうきゅう》はやるまいと皆が高をくくっているので、今川氏の盛衰を思うよりも、畔《あぜ》に植えた枝豆の出来栄えを気にしていた。その田の中には幅半間ぐらいの道がある。道に沿うて小さい溝《どぶ》が流れていて、底はいっぱいの泥で、この暑さでぶくぶくと泥が幾度も湧き上った。泥鰌《どじょう》がいる。いもり[#「いもり」に傍点]がいる。素っ裸《ぱだか》の子供が、五、六人も集ってがやがやいっている。それは草を罠《わな》にしていもりを釣っているのである。不気味な朱色をしている小さい動物はいくつも溝の中から釣り上げられては土の上に投げつけられている。投げつけられるたびに、身体をもがく勢いが弱くなって、終いにどんなに強く投げつけられて
前へ
次へ
全16ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング