ついたからである。他の子供も最も適当な場所を攻撃したので、少年は手もなくそこへ引き据えられてしまった。子供たちは専制者を倒した革命党のように得意であった。
少年は身をもがいて逃れようとした。しかし子供の数は十人にも近い、しかも各員が皆有機的に働いているのでどうともすることができない。
「奴にいもりを食わしてやろけ」と一人の子供が思いつきをいった。子供たちは皆にやりと悪意のある笑顔を交した。がそこへ一人の老人が来たので、少年はいもりを食う必要はなくなった。老人を見ると、子供は口々に声を揃えて訴えた。
「安阿弥《やすあみ》を足蹴にしたで」というのである。
老人は、一|瞥《べつ》してこの少年が今川の落人《おちゅうど》であることを知った。当代の今川家には多少恨みがあった。しかしなんといっても、先代の仁政に対する感謝がどこかに残っている。その上に美しい少年で落人の身である。老人は当然子供に手込めになっているこの男に同情して、やにわに子供たちを叱り飛ばした。これは自分の子供が他人と交渉を開いた時に、理非曲直を問わず子供を叱り飛ばす今の親たちの取る手段と同じである。少年は恥と憤りとの交じった顔付きをして起き上がった。その時には子供たちは復讐を恐れて十間も向うの丸葉柳の下へ集って逃げ支度をしていたが、村の若者が五、六人ばかりその代りに少年を取り囲んだ。いちばん前に出て少年の顔をじろじろ見ているのは、弥惣次《やそうじ》というて落人狩りを専門にしている男である。この男は戦争があるという噂を聞くと、いつも村中から、また隣村から仲間を狩り集めて出かけて行って、どさくさまぎれに略奪をやったり、落人に槍をつけたりした。今度も出かけて行くはずであったのだが、一月ほど前に負傷をしたのが癒《い》えないので、今でも左の手を吊っている。彼は先刻から少年の腰の物の値踏みをしているのだ。それは黄金作りの素晴らしい品物である。彼は今まで二、三本の太刀を泥棒したが、作りだけでも金三、四十枚に当る代物は、いまだかつて見たことがなかったのである。
少年は、そういう物騒な人間がすぐ前にいることは知らなかった。彼は目から口惜し涙を二、三滴こぼしながら声を震わせて、
「館《やかた》の三浦右衛門《みうらうえもん》をよくも手込めにあわせおった」という致命的《フェータル》な独言《ひとりごと》をいった。
「おのしが右衛門か」
そこにいるのものは一斉に口を開いた。それほど彼の名は聞えている。彼は今川家のキャンサーだといわれている。氏元《うじもと》が豪奢遊蕩《ごうしゃゆうとう》の中心は彼だといわれている。義元の時よりは二、三倍の誅求があるのも、皆彼のためだといわれている。義元恩顧《よしもとおんこ》の忠臣が続々と退転したのも彼のためだといわれている。今川家の心ある人々は彼の名を呪っている。彼の悪評は駿河一国の隅々にまで響いている。その悪評を耳にしないのはおそらく彼自身だけであったかも知れない。実際、右衛門にはなんの罪もないのだが、右衛門の寵幸《ちょうこう》と今川家の退廃とが同時に起ったので、単純な世人はその前に因果関係があると思ったのである。実際彼は一人の無邪気な少年に過ぎない。彼は十三の時に、京の西洞院《にしのとういん》に侘住居《わびずまい》をしていた両親の手から今川家へ児小姓《こごしょう》に召し上げられたので、それ以来は、ただ主君や周囲からせられることを受動的に甘受していただけで、自分の意志を働かしては何一つしたこともないが、氏元の彼に対する寵幸があまりに極端なので、彼が巧みに主君を操っているように見えただけである。
弥惣次は右衛門の名を聞いた時には、これは待っていたよい機会が来たと思った。無下に剥ぎ取っては傍の者が承知しまいとさっきから手を出しかねていたのであった。彼は急に居丈高《いたけだか》になって、
「右衛門|奴《め》ならなぜ館のお供をせぬのじゃ」とののしった。
右衛門はこれを聞いて顔色を変えた。実際彼は主君を捨てて逃げて来たのである。府中を落ちて二、三里も行った時、彼らの一群を追いかける織田家の甲冑《かっちゅう》が四、五町後の街道に光るのを見た時に、彼は死を恐れる心よりほかの考慮は何もなかった。彼は馬に乗ることはすこぶる不得手なので、さっきから一行にしばしば乗り遅れている。もし敵に追いつかれたら、いちばん先に片付けられるのは自分でなければならぬと思うと、今にも背中に敵の槍首が突き通りそうで、生きた心持とてはなかったのである。彼は幾度も躊躇した後、左手の林の中に馬を乗り入れるとすぐ馬を乗り放して、それから遮二無二逃げたのである。彼はこういう弱味があるので、ぐうともいえなかった。
「見せしめに剥いでしまえ」と弥惣次が怒鳴った。
これはすこぶる不当な結論ではあるが、戦国ではこ
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング