いった。
この返事を考える必要は彼にはなかった。前の日に弥惣次から教わっているからである。
「命は惜しゅうござる、命ばかりは助けて下され」といった。刑部の家臣は人間のうちにこんなに命を惜しがる者がいるのが不思議で堪《たま》らなかった。彼らは勇ましく死ぬということが一つの見栄《みえ》であった。だから小さい時から飛行家が曲乗りを研究するように、他人をあっといわせる曲死の方法を研究していた。この頃の武士道の問題は、いかにして生命を安価に捨てるかということであった。彼らには生命以外のものはなんでも貴《たっと》かったのである。生命はなんと交換しても惜しくないものであった。だから右衛門の哀訴は彼らにとって、実に奇跡であった。彼らは一斉にわらった。刑部はまたからかってみたくなった。「右衛門、命は惜しいか。惜しければ手を突いて、惜しいと申せ」といった。皆はまさか武士ともあるべきものがこれほど侮辱を受けてまで命乞いをすまいと思った。しかしそれは思った者の誤解である。右衛門は涙を流しながら手を突いて、
「命は惜しゅうござる」といった。また君臣の高い嘲弄の笑声が響き渡った。刑部の心のうちには、右衛門の哀訴を聞いて、さらに弄《もてあそ》ぼうという悪魔的な心が生じた。
「それほど命が惜しければ助けて得さそう。しかし、ただは助けられぬ。命の代りに腕一本所望じゃ。それ承知とあらば助けてやろう」といった。太刀取りは右衛門のそば近く寄って、
「殿のお言葉を聞いたか。否か応か、返事せい」といった。右衛門は返事の代りに縛られている左の手を動かした。
「ならば左の手を切れ」と刑部がいった。太刀取りの刀が閃くと、右衛門の手は鈴ヶ森の舞台で権八に切られた雲助の手のようになった。
「片手《てんぼう》でも命は助かりたいか」と刑部がまたきいた。右衛門は恐ろしい苦悶を顔に現しながら頷いた。刑部の君臣はまたどっとわらった。刑部はまた口を切って、
「片手では安い、両手を切ってなら助けてやろう」といった。右衛門にも言葉の意味はわかったらしい。太刀取りは、
「否か応か」と聞いた。右衛門はわずかに頷いた。太刀取りの声が再びかかると、彼の右の腕は血糊を引きながら三間ばかり向うに飛んだ。右衛門の姿は、我々にとってはかなり残酷に思われるが、戦国時代にはこのくらいな光景を見て憐憫《れんびん》を起す人間は一人もいなかった。刑部はまた叫んだ。
「両手でもまだ安いわ。右の足も所望じゃ。右の足を切ったなら、命だけは助けよう」といった。生きた埴輪《はにわ》のように血の中に座らされている右衛門の顔は、真蒼になりながら泣き続けている。しかし緊張した神経には刑部の言葉はわかったのであろう。彼は切れぎれに「命ばかりは助けて下され」といった。刑部の君臣はまたどっとあざわらって、この人間の最高にして至純たる欲求を侮辱した。大刀取りは左の手で右衛門の身を上へ持ち上げるようにして右足を剪《そ》いだ。太刀が余って左足へ半分斬り込んだ。
「右衛門、それでも命が助かりたいか」と刑部がいった。しかしもう右衛門には聞えなかったらしい。太刀取りは右衛門の耳に口を寄せて、
「命が惜しいか」といった。右衛門は口をもぐもぐさせた。その時、刑部は「それ」と目配せをした。太刀取りは四度太刀を振り直して、えいと首を刎《は》ねた。首は砂の上を二、三尺ころころと転げて、止まった所で口をもぐもぐさせた。肺臓と離れていなかったら、きっと「命が惜しゅうござる」といったに違いない。
戦国時代の文献を読むと、攻城野戦英雄雲のごとく、十八貫の鉄の棒を苧殻《おがら》のごとく振り回す勇士や、敵将の首を引き抜く豪傑はたくさんいるが、人間らしい人間を常に miss していた。自分は、浅井了意の犬張子を読んで三浦右衛門の最後を知った時、初めて“There is also a man.”の感に堪えなかった。
底本:「菊池寛 短編と戯曲」文芸春秋
1988(昭和63)年3月25日第1刷発行
入力:真先芳秋
校正:鈴木伸吾
2000年1月26日公開
2005年10月13日修正
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