いでしょう。若杉裁判長が、罪人に対する理解のこもった同情は、だんだん立会の検事にも伝染したとみえ、最初ほどは検事が頻々《ひんぴん》と控訴しなくなりました。
が、時々は、若杉さんに対して、課刑が寛大に失するという非難がないでもありませんでした。そうした非難をする人でも、若杉裁判長の人格の底深く植えつけられた信念の力強さを知ると、いつの間にか、そうした非難を忘れるともなく、捨ててしまうようでした。
若杉裁判長が、いかにも人情を噛み分けた、同情の溢《あふ》るるような判決を被告に下した実例は数え切れないほどあります。放蕩無頼《ほうとうぶらい》の兄が、父にたびたび無心をした揚げ句、父が応ぜぬのを憤って、棍棒を振って、打ってかかったのを居合せた弟が見るに見兼ね、棍棒をもぎとるなり、兄をただ一打ちに打ち殺した事件の裁判なども、若杉裁判長の名声を挙げた、名裁判の一つでありました。普通の裁判官なら、たとえ被告に同情をするにしても、尊親族《そんしんぞく》殺人という罪名に拘泥して、どんな酌量をしても四、五年の実刑は課したでしょう。が、若杉裁判長は、罪を憎んで五年の懲役をいい渡すと同時に、執行猶予の恩典を
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