を普通の人間とはまったく違った生存物だと見るような弊が少しも無かったのも当然だと思われます。その上若杉さんの罪悪観には、キリスト教的の分子が、よほど多量に含まれていた上に、すべての犯罪においても、人間的《ヒューマン》な動機を十分汲み取ることができたので、どうしても罪人を憎みきれなかったのでしょう。この罪人の血管を流れている血も、俺の血管を流れている血も、そう大した相違があるものではないという、裁判官としてはあまりに人間的《ヒューマン》に過ぎた信念が、常に若杉さんの裁判心理の中に動いていたのでしょう。もう一つ若杉さんの心理に動いていた感情は、どんなことがあっても、冤罪《えんざい》の人を作ってはならぬという考えでした。よく裁判の話の時に、引き合いになる格言ですが、「たとい九人の有罪者を逸するとも、一人の冤罪者《えんざいしゃ》を作ることなかれ」という戒《いまし》めです。若杉さんの胸には、そうした考慮が常に激しく動いていたらしいのです。
まあ、言葉を換えていいますれば、若杉裁判長の判決がいかにも寛大であったということは、裁判長の人道的《ヒューマニスチック》な人格からの当然の帰結だといってもよ
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