念があくまでも強かった若杉さんにとっては、身の毛もよだつほどの不平であったのです。彼は、国家の権力が、こうした野蛮な人間によって乱用せられることを、身震いするほど恐ろしく思いました。
 その晩、寄宿舎へ帰ってからも、そうした不正に対する義憤は、なかなか静まりませんでした。床に就いてからも、またそのことを思い続けていました。その時にふと、将来法律を学んで、こうした無辜《むこ》の人々のために、侃諤《かんがく》の弁を振ってみようかという考えが、若杉さんの心に浮びました。
 若杉さんが、法科を選んだ遠因は、おそらくそこにあるのでしょう。が、直接の原因は、自分の尊敬する森田君が、急に文科を見限って法科に転じたためでしょう。その頃は、まだ今のように、法科生過剰の現象はありませんでしたから、法科へ転科するのは、今よりもずっと容易でした。が、弁護士になるはずであった若杉さんは、弁護士があまりに世俗的な、あまりに実際的な商売であるのに、嫌気がさし、卒業間際になってから、志を翻して、司法官になったのです。
 こうした経歴を持っている若杉裁判長が、普通の裁判官に比して、より内面的で、より人道的で、悪人や罪人
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