かしこ》まっている大人しい窃盗や強盗や殺人犯なら、幾人見たかわかりません。たいていは、ぺこぺこ頭を下げて、神妙に縮み上っている男ばかりでした。が、今宵若杉さんの前に立っている本当の泥棒は、そう大人しい人間ではありません。見つけられたからは、居直ってやろうという肚を、ありありと見せていました。そこには、裁判官と被告という関係の代りに、赤裸々な人間同士の力ずくの関係しか、予期せられませんでした。一秒、二秒、三秒、泥棒の方でも、動きませんでした。若杉さんの方でも動きませんでした。若杉さんは、全身を押し詰まされるような名状しがたい不快な圧迫を感じていました。が、その中でも、若杉さんの理性は、懸命の力をこめて、善後策を講じていたのです。男の意地としても、裁判官の威厳を保つためにも、泥棒ぐらいは取り押えることが、必要でした。が、その格闘の恐ろしいものの音が、産褥にある妻に与える激動、また居間の向うの六畳に寝ている、幼い三人の愛児に与えるおどろきと危険とを考えると、若杉さんの手は、どうしても延びなかったそうです。若杉さんは、この泥棒に相当の金をやって無事に帰ってくれと哀願しようとさえ考えたくらいです
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