ところが、その判決があるという、月曜日の三日前、即ち金曜日の晩に、若杉裁判長の身に、偶然ある事件が起りました。
と、いうのは、その金曜日の晩、それはなんでも三月の何日かに当っていました。若杉さんの家では、産後間もない夫人がまだ産褥《さんじょく》を離れていない時でした。もう男の子三人のお母さんでしたが、いつもお産が長びくので、産後の衰弱は、傍《はた》の見る目も痛々しかったほどです。でその晩も、常ならば夜遅くまで騒ぎ回る男の子も、宵から強制的に寝かされていました。そして若杉さんだけは、次の茶の間に身動きもせずに、寝ている妻に時々言葉を掛けながら、書斎で十二時頃まで、書見に耽《ふけ》っていましたが、十二時を打つを合図に、下女がその部屋に敷いて置いた床の中へ入りました。その時次の間の妻に、言葉を掛けましたが、もう寝てしまったと見えて返事はありませんでした。
幾時間経ったでしょう。若杉さんは、ふと目をさましました。すると、夫人が寝ている茶の間とは反対の側の居間の方から、コトコトという音がきこえてきました。若杉さんは、大方鼠どもが、居間の棚のうえを駆け回っているのだと思って、再び目を閉じまし
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