すべてが、今からいかんともしがたい、前世の出来事のように思い出された。彼は、そのすべてが許され、そのすべてが是認されたようなのびのびした心持であった。煉獄を通ってきた後の朗かな心持であった。
 時々、人を殺したということが、彼の心を翳《かげ》らそうとすることがあった。が、そんな時、彼は幾十万の人間が豚のごとく殺される時、そのうちの一人や二人が何かほかの動機から殺されても、何もそう大したことではないように思われた。恐らく、目の前であまり多くの人が殺し殺されるのを見たので、人殺しに対するイワノウィッチの感覚は、鈍ったのかも知れない。しかも彼自身、機関銃を操って、他の多くの人間を殺していたのである。
          ×
 快い朝である。
 新しい軍服を着たイワノウィッチは、いま揚々として病院の廊下を歩いている。すべてが巧くいった。彼は、こうした満足らしい心持しか心になかった。
「やっぱり、ダシコウが、俺に勲章をくれたことになる」彼はまたこう繰り返した。そして、彼はその皮肉を苦笑した。が、そんな回想は、今日、ニコライ太公からサン・ジョルジェ勲章を貰う欣《よろこ》びを少しでも傷つけるものでは
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