「もちろんですとも」と、イワノウィッチは自分ながら、落着き過ぎると思うほど、落着いて答えた。そして、
「これが我々の最後の晩です」と付け加えた。が、リザベッタは淋しい微笑をもらしたばかりで、すぐ滅入ってしまった。
「あなたは、どこかへ逃げないのか? モスクワか、ペトログラードかへ」と、イワノウィッチが彼女に対して、深い愛情を表しながらきいた。
「モスクワ! ペトログラード! 私の故郷は、ワルシャワのほかには、どこにもない」と答えると、彼女は急に深い感傷的な興奮にとらわれながら、イワノウィッチの胸に、彼女の頭を埋めようとした。
その時である。この部屋のドアを、表から軽くノックする音がきこえた。彼女は、気軽に、
「ローナかい」と呼びかけた。彼女の召使いの老婆は、その日の夕方から、外出していたのであった。
「いや、ダシコフだよ」と、こう声がするかと思うと、鍵の掛っていなかったドアは、激しく押されて、驚愕したイワノウィッチとリザベッタとの眼前に、大尉ダシコフは、その長大な体躯を現したのである。それを見たリザベッタは、軽い叫声を挙げながらよろよろと後退りして、ソファの上に倒れてしまったのである
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